2005年9月29日アーカイブ

umikiyoさんへの返信

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 ぼうずコンニャクです。今日は雑用の場で急に目眩がして目の回りが熱くなり、しかも気分まで悪くなってパニック状態になってしまいました。これは年のせいというより肥満のせいかも。しかし若い仲間達の冷淡さには驚きました。わからないのでしょうね。
 さて、私がお茶の水の初めて下りたのはちょうど30年前にことです。総武線が秋葉原から駿河台に結ぶ驚くほど高い鉄橋に入ると南に見えるのはニコライ堂ですね。これが非常に感激できる景色であって、これからこの街の鈍色の空の下、勤勉に寡黙に勉強をするのだと思ったもんです。結局勉強とは縁がなかったのですが。
 さてお茶の水、小川町、神保町、などにラーメン屋あ増えたのはそんなに古いことではありません。だいたいラーメン専門店というのは本来なかったと思います。このラーメンを檜舞台にのせたのは『暮らしの手帖』の花森安治の札幌ラーメンからだと思います。これが確か1970年代。このマスコミでは異端者ながら、食にも生活にも革新的な存在がラーメンという「食の分野」を国民に再認識させたのです。
 初めて、ぼうずコンニャクが降り立ったお茶の水界隈にはほとんどラーメン屋というのはなく、今の『伊峡』はあったろうか? また中央大学生協横の「ピカイチ(どんな文字で表記したか思い出せない)しかなかったのです。すなわちラーメンは大学生協かわずかなラーメン専門店、そして多くの中華料理屋(レバニラ炒めなどある)で食べていたんです。「餃子のおけい」なんてところのタンメンはうまかったですね。今は飯田橋で味わえるのだと思えます。
 そして今あるお茶の水、神保町のラーメン屋のほとんどは新しい店ですね。しかもチェーン店が多い。その上、そんなにうまい店があるわけではないと思います。敢えて神保町名物の麺類としては揚子江飯店の冷やし中華の方がまだいいですね。
 また藪そばはそんなに好きではないのですが須田町の松屋は好きですね。ここは神田連尺町という地名だったところで、となりの多町とともに戦争で焼けなかったところです。
 永井龍男の『石版東京図絵』にも出てきますが戦前のこの界隈はまことに情緒あふれる街並みだったのです。

nikoraidou.jpg
今ではお茶も水駅からはニコライ堂は見えない。まったく未来を見通せないバカな人たちが作った高すぎるしかも薄汚い建物に囲まれて、残念至極です。


ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/

9月28日のこと

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 曇り空、肌寒い。6時過ぎに起きるが市場のない日なので、のんびりとして朝食を作る。本日から出汁は長昆布とサバ削り節。
 朝食はカネマル笹市のアジの開き、フレンチサラダ、小松菜お浸し、スルメイカとキュウリの和え物、大根と油揚げのみそ汁、ご飯、常備菜。
 カネマル笹市のアジの開き、サンマの開きも保存のために冷凍、そろそろ半月になるがまったく味に問題がない。相変わらず身がふっくらしてうますぎる。
 午前中は雑用、画像の整理。新潟長野で撮影した分の整理がやっと半分終了。

 昼食は沖縄県読谷村『沖縄ハム』のタコライス。これは千葉の海人つづきさんからのお土産。タコライスというものを初めて食べたのだけれど添付の辛いソースをいっぱいかけると、かな〜りうまい。これを食べてしまうときっと家族からの非難は避けられぬ。
takoraisu.jpg
この手の食べ物はなかなか自分では買わない。また家族が買っても手を出せないのだ。そんな悲しいお父さんに、つづきさんのお土産はなんだかうれしいな!

 午後、お茶も水へでる。立川談志『らくだ』、『宿屋の富』。本が読めなくてこまるな。
 帰りの中央特快に飛び乗ったのが8時半。帰宅は10時前。帰宅すると静岡県沼津市沼津魚市場のあがった巻き網の「めじまぐろ(クロマグロ)」が3本。小振りだが見事である。これは山丁・菊貞・菊地利雄さんが送ってくれたもの。腹身を刺身にして『三千盛』を飲む。まだ小さく身が柔らかいのだけれど、その柔らかな身に旨味というか味わいがある。半身食べてもよかったかも?
 0時過ぎまで画像の整理。また雑用。0時半にダウン。


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