2007年6月16、17日 岡山の旅15 倉敷武内家での一夜

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 真っ暗な駐車場にもどる。そこには当然幽霊も悲惨な自殺者もいない。ただの静かな海辺の空間があるだけだ。耳をすますと波の音が聞こえる。そこでクルマに様々な荷物をのせて、また倉敷の街に向かう。
 暗闇から現れる光は今風のチェーン店、関東では見かけないレストラン、どの当たりを走っているのかまるでわからないが北上しているのだけは確かだ。途中、きんのり丸さんがコーヒーを買いたいとコンビニに立ち寄る。きんのり丸さんのタバコやコーヒーなどを頻繁に欲しがるのに「大丈夫だろうか」と心配になる。

「急ぎますので高速に乗ります」
 武内さんが言って、暗闇に近い寂しい上り坂を曲がる。たぶんこれが水島インターだろう。うとうとしていると倉敷の街に下っている。そしていつの間にか酒津の武内さんのお宅にたどり着く。
 そこからシャワーを浴びるまでの記憶がほとんどない。二階の寝床がしつらえられた間に尻餅をつく、便意を催して排便しているとき、武内さんから
「ぼうずコンニャクさん大丈夫ですか?」
 声をかけられる。ボクは昼間よりも元気ですよ、と言いたいほどに回復してきている。武内家の便器にたっぷりうんちを排出し、シャワーを浴びると気分上々となる。

 寝間にもどるとヒモマキバイさんがいない。階段をくだって武内家の居間に入ると武内夫妻、ヒモマキバイさんがテーブルを囲んでいる。
 その椅子が不思議である。今どきの椅子よりも左右が狭いのだ。ボクは座るのに危機感を感じる。腰を下ろす、ゆっくり、ゆっくり、すると左右の肘置きがボクに吸いついてくる。これはどうしたことか、ほんの数分でボクの心はゆるみ、居心地がまるで母の体内に居る如くになる。まあ疲れすぎているのでそう思っただけだろうが、それからの数時間が楽しかったな。ほどなくきんのり丸さんも下りてくる。
 きんのり丸さんが持ってきた上総のりをつまみにビール、倉敷の地酒をたんといただく。ほどよく酔いがまわってきて、おしゃべりの花が咲くのだ。
 ボクはこの数時間できんのり丸さん、モマキバイさんがますます大好きになり、それ以上に武内夫婦に親近感を覚え、ちょっとだけ武内夫婦に嫉妬する。武内立爾さんにとって高校時代、今の奥さんは憧れの人だったという。そしてその人が今ここでいるのだ。
 うらやましいと言えば、きんのり丸さんも「今でも妻を愛してます」といってはばからない。愛情関係ではどん底にいるヒモマキバイさんともども「人生って辛いな」なんてことも思うのだ。

 話は変わるが武内さんの銀座のギャラリーでの第一印象はこの人「ガードの堅い人」かも知れないというもの。でも話し込むととても実直に、その言葉が深々とボクに伝わってくる。今回、倉敷に来て、またその「直線過ぎる硬さ」壁を感じる。それで一言二言話してみると「懐かしいような人恋しいような」気持ちになるのだ。これには困った。困ったと言えば武内さんの奥さん(ご免お名前を忘れた)の印象である。後々物語るが、ボクは武内家のご母堂にびっくりしたのだ。そのたおやかさや、倉敷の街で生きてきた「どこか謎めいたもの」。武内さんの奥さんはそのご母堂(この言葉を選んだのにはワケがある。“お母様”でもないし、“母上”も違うし、残ったのがこの言葉)の系統を何気なく継承している。まあたぶんボクは武内さんの奥さんに惚れたのである。しかし、うらやしいな武内さん。

 さて話は12時間前にさかのぼる。武内家にたどり着いたボクたちへっぽこトリオは武内さんの手料理によるうどんをご馳走になった。それはあまり特筆すべきものではないがそのテーブルに載っていたのがご母堂手作りの「こうなごのくぎ煮」である。この「くぎ煮」がボクなどでは真似のできないものだった。「作り方」を聞いても間違いなく絶対に作れないものというのがあるが、これなどまさにそれだろう。毎年「こうなご(イカナゴの稚魚)」が揚がるたびに何十年と作ってきている。その年月が作り出したのがこの「くぎ煮」の味である。そしてそこに武内さんの日常使いの器だ。これは芸術とか非芸術とかを超えた技が作り出す「け」の器だが、なぜか菜としての「くぎ煮」をのせてより美しさを主張している。

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 この器と「くぎ煮」に感激したのはボクだけではなかったようだ。目の前でヒモマキバイさんの目がキラキラしている。きんのり丸さんの箸も「くぎ煮」の皿をなんども行き交う。
「うまいな。山椒が入っていますね」
 きんのり丸さんが「くぎ煮」の皿をじっくり見て話す。そしてまた箸がでる。気になるのは、その箸のすくい上げる「くぎ煮」がものすごく多いということだ。

 夜は深々と更けていく。ふとトイレに立ち、ケータイを見ると東京の尻高鰤さんから着信がある。築地族なので大丈夫か? と不安になりながらかけ直すとすぐに繋がったのである。なんでもない「かけてみたかっただけ」と尻高鰤さんは言うが、「ひょっとしたら尻高鰤さんも来たかったんじゃないの」というのが当たっているだろう。
 ケータイを置くと時刻は2時を回っていたのではないか? このとき時計を見ていない。でも間違いなく15日の朝6時以来眠っていないわけで、五十路のボクには限界が来ていた。

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 翌朝目覚めたのは7時過ぎだった。疲れはすっかりとれている。我々が泊まった2階の座敷は武内立爾さんの作品が置かれているところ。布団から抜け出すと、ヒモマキバイさんが大皿を並べて思案顔。青い釉薬が蔓植物を描いたようにうずまく皿を持って
「これもいいし、この赤い色合いが入ったのもいい」
 また奥から皿を出してきて、確実に深い悩みに陥っていくようだ。一階でパンとサラダ、コーヒーの朝食をいただき、またもどってもヒモマキバイさんの悩みは続くのである。

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 窓の外には築地塀が見える。その土色の回りに無数の木々があるのだけど、その位置関係が微妙だ。無造作でもない意図的でもない。それに手前にある大木はカエデなのである。この窓からの秋の景色を思い、また手前の見事な辰砂の大皿を見るともなく見る。そこに四次元の空隙が出来ているように思えて、時空を超えて自分を秋の日に旅立たせたい気になる。
 結局ヒモマキバイさんは「離婚も成立しそうだし、記念に皿を買っていきます」とわけのわからないことを言って数枚選んだ。

 さてそろそろ武内家を辞去する時刻である。武内家の門までの小径に白い可愛らしい花を見つける。ご母堂に問うと、都忘れだという。
 去り際になんだかもの悲しい気分になってしまったが、おふたりに見送られて日生を目差す。


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コメント(2)

釘煮のお皿、模様と盛り付けがしっかりと計算されて
いるんですね。

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そうですね。盛りつけたのはどなたでしょう? あの状況だと武内さんご本人だと思えますが?

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このページは、管理人が2007年7月 9日 12:03に書いたブログ記事です。

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