沼津魚市場の地物競り場が生まれ変わって、不思議でわけのわからん名前「イーノ」になった。もっとまともな名前はなかったのか、この国の言語が益々好きになっているボクには理解不能だ。
だいたい、この「イーノ」というのはギリシャ神話からとったものだというが、沼津とギリシャのどこに接点があるのか、最近、この国の政治や、このような施設を作る人の感覚が幼児化してきているのが気になるな。
さて、午前3時過ぎに沼津に着き、ちょっと前まで底引きの競り場だった部分を通り越して、「イーノ」に入る。入るときに浅い水槽を通り、手を洗う。午前3時半近くの競り場はまだひっそりとして、いちばん端っこの活けと、底引きに人の気配がする。
底引き網の選別の場所に来ると、志下トロの雰囲気がちょっと変である。というかとても近寄りがたい、おっかないのである。太共丸の奥さんが「大変なのよ」と、これが朝のご挨拶。大成丸の女性達は、「邪魔だから下りてくるな」と初っぱなからけんか腰だ。仕方なく遠くから見ていると、通りかかった人が「近寄らない方がいいよ」と声をかけてくる。
戸田の底引きが到着してくる。こちらの方もどこか動きがぎこちない。そのわけは一目見ればわかるものである。狭いのだ。
底引きの選別している人に言わせると実質的には「前の半分だね」とのこと。
この「イーノ」を設計した会社がどのようなコンセプトで作ったのかは、だいたい理解できる。昨今の衛生面での配慮が前面に出ているし、これは将来のことを鑑みるに仕方のないこと。でもこの会社は、現場を見ないで建物をマニュアル通りに作ってしまったのだ。明らかに、ここでどんな作業が行われている、行われるのかを一度も見ているはずがない。はっきり言っていろんなところに無理がある。この建物を設計した会社は実際に使っている人たちからは不愉快な対象になってしまっている。
さて、志下の選別はまったく見ることが出来ない。主に戸田の船を見て歩く。
9月、10月はそれこそ1船あたり大きなバケツが7個も8個も、ときに10個もあり、それこそ選別の手伝いまで大集合して大変な騒ぎとなる。それが今日は水揚げが少なく静かである。静かであるけど労働量は建物のせいで倍になってしまっている。選別の主体になっている人たちの年齢は若くて50歳代だが、中心としているのは60歳、70歳台だろう。そこに立ちはだかるのが高い段差だ。そして狭すぎる選別場所。たぶん何も見ないで設計した人間は充分にスペースをとっていると思っているんだろうけど、それは作業の流れをまったく見ていないためだ。もしくはよほど不漁の日に一度くらいは来ているのか?
仲買の一人が志下の場所に来て、「9月の解禁だったら死人が出てるだら」と言って去っていった。
作業場が狭いのは大きなシャッターを閉めているためだと思い、戸田の解放されている方の後ろに回る。ところが決して通路側にせり出せないのがすぐにわかる。
日ノ出丸、光徳丸、清正丸、招徳丸、福徳丸ときて戸田の場所でも作業の滞りが目立つようになってきている。招徳丸の、ご夫婦は老齢のためかこの高い段差を超えられない。間違いなく上がり下りが出来ない。
選別を見ているとき接岸している定置の船がエンジンをかけた。すると選別の場所に大量の排気ガスが流れ込んできた。ボクは疲れがたまっているせいなのか、この濃度の排気ガスの中では気分が悪くなる。
菊貞・山丁菊地利雄さんが通りかかったので、「排気ガス入らないように出来ないのですかね?」と聞いてみる。
「あれ見てください。(イーノの競り場とは反対側の一番高いところに)換気扇が並んでるでしょ。だからこっちからの排気ガスが全部場内に入ってくるんですよ。排気ガスが入ってきたら息を止めてください」
「そんなことしたら死にますよ」
底引きから巻き網の選別場にくる。こちらは比較的うまく選別が行われている。これが選別台があるからだ。選別台の落とし口を競り場に持ってくれば段差が気にならない。
やはり新しい建物というのは落ち着かないものだ。既に並んでいる八丈島などの魚貝類を見て回る。たくさんのサヨリやタチウオはいつもの如く。明るいので撮影は楽になった。その画像がきれいである。
さて、「イーノ」の第一印象は決していいものではない。あえて言うと設計があまりにも計算され尽くしていて、遊びがなく、ゆとりがない。このような低級な設計は“現場を調べない、見ない出作り上げる、今時の傾向”とも言えそうだ。これが築地の移転先の豊洲にも受け継がれると思うと薄ら寒い気すらする。
沼津魚市場便りはまだまだ続く。
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