仕事が早く終わるのはうれしい限りである。でも真冬の夕闇迫る4時ともなると忙しい身には無駄歩きしていいのか、考えてしまうのだ。神保町をそぞろ歩き。アクセスで地方出版物を見て、半蔵門線に下りる。東京駅まで行こうと思ったら「南栗橋行き」なのだ。いったい南栗橋ってどこなんだろう? 考えている内に大手町駅を過ぎている。白川清澄、住吉、押上と来て、次が曳舟である。
曳舟っていいなと思ったので下りてみた。ここは隅田川の底をトンネルで抜けて向島である。4時を過ぎると夜はどんどん迫ってくる。駅の周辺をとりとめもなく歩く。立ち食いそば屋、昼飯抜きである、うまそうだ。回転寿司、ラーメン屋、そんな商店街に見える通りを多分隅田川に向かって歩く。そこで見つけたのが、佃煮屋である。真新しいビルの1階ではあるが香ってくる匂いに引かれるものがある。斜めに垂らした大きな紺染めの布に『鮒源』とある。曳舟に来て最初にここに入ったのがよかったのだ。雑魚、ハゼ、あさりにカツオの角煮、いかあられ、富貴豆。豊富な品揃えから「いかあられ」、「アサリ」、「しいたけ昆布」を買い求める。これで1480円である。
この『鮒源』の店主と女将さんはいたって下町風。ざっくばらんに曳舟に来てしまった話をして、このあたりで昔ならではの商店街を探していることを話す。そこで教えてもらったのが「キラキラ橘商店街」。「でも、ここから20分くらいかかるよ」というので考えてしまう。夕闇は迫り、自宅にはやらなければならないことが目白押しなのだ。それでも西に沈み行く夕日を見て、とても無味乾燥な多摩地区に帰りたくなくなるのだ。
とぼとぼと歩く内に踏み切りに出る。カンカンとなるのに一向に遮断機は下りてこないので線路沿いから駅に止まる電車を撮影する。これが京成曳舟線である。渡って向こうにイトーヨーカドーが見える。これを嫌って右に曲がると懐かしい、しかも心温まる商店街に出る。
左に風呂屋の日本建築、そのまま進むと『青木豆腐店』。
右を見ると泣ける情景が目に飛び込んできたのだ。『魚要』という魚屋さん、奥では食卓を囲む家族。懐かしいな。ほんの昭和40年(1970)代くらいまでの商店街では店の向こうが茶の間であったのだ。我が子供の頃も決して店の前から食卓は見えなかったが、よくお客さんは食卓の側の土間まで入ってきた。
その魚屋を過ぎるとまたまた豆腐屋、『平井豆腐店』。ここで「キラキラ橘商店街」の位置がわからなくなる。仕方がないので道行く老婦人に聞くと「遠いんですよ」といいながら教えてくれる。、また進む道は「曳舟たから通り」と言うらしい。
その通りに井戸水をくみ上げるポンプを修理している男性、お婆ちゃんがいる。どうもここでは飲み水ではないだろうがこれが現役で動いているのだ。進む内にどんどん夕闇は濃く深くなっていく。そして左に公園があり、通りを隔てて右に「キラキラ橘」のイルミネーション。でも右の通りは暗闇に沈む。
そんな公園の左にきらきらと細く明るい通りが続いている。こんな明るさはまるで石川啄木が見た神楽坂の光景に近いのではないか。(次回に続く)
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曳舟京島無駄歩きパート2