子供の頃の「カツ」はこれだった 徳島「フィッシュカツ」

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 我が故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)での子供時代、たぶん昭和30年から40年にかけて毎朝乳母車のようなものに菓子パンや総菜類を行商する人がいた。昔の記憶で顔もぼにゃりとしか思い出せないのだが「きたぐっつぁん」と呼んでいた。多分、北口さんというのだろうけど、オバサンが押してくる乳母車のようなものにはアサリなどの貝や干物、菓子ぱんなどがぎっしり入っていたはず。我が家は商家である上に母親がいない家庭だったので朝食はいたって簡単に「きたぐっつぁん」から買った菓子パンなんてこともあった。その毎朝の買い物でとくに大好きだったのが「カツ」である。
 考えてみれば昭和30年代、祖母が主婦となっていた我が家では豚カツなんてものは食べた記憶がなく、洋風のものといったらライスカレーか我が家の前にあった前田精肉店のコロッケだけだった。そのため「カツ」の味わいは子供心に油っこくてうまいかった。
 これが魚のすり身で出来ているのを知ったのは、すでに小学校に上がって買い食いを始めてからのこと。自転車で遠出をしてお腹が空いたために食料品店に立ち寄った。「サンリツパン(これまた食べてみたい。懐かしい)、あったら買(こ)うて食べんで」というのが友との約束。その店にはすぐ食べられるものがなにもなくて、木の陳列だなに見つけたのが「カツ」なのだ。それを仕方なく自転車を押しながら食べたのはうまかった。指に着いた脂をなめて、そのうまさにまだ口寂しい思いをしたんだった。そのとき店のオバサンが勝手に「カツ」は魚で出来ているというのを教えてくれた。なぜ、このような話になったんだろうね。まだ自転車を三角乗りしているような子が、どうも隣町から遠出をしてきたらしいと気が付いて、いろいろ聞かれた記憶もある。これもまた帰郷したらそのときの友に聞いてみたい。
 この「きたぐっつぁん」の「カツ」はどこから来たのだろう? これを教えてくれたのは徳島県阿南市の角元さん。小松島の「津久司蒲鉾」が初めて作ったのだという。たぶん肉が高くて乏しい時代に、肉の代わりに魚のすり身を使い、試行錯誤の末に作りだしたのだろう。また取り寄せでもしてみようかと思うが、なにしろ徳島県人にはあまりに日常的な惣菜。これを取り寄せるのがちょっと恥ずかしいような気がする。
 さて今回画像で載せたのが徳島市中洲市場で買ったもの。楕円の薄っぺらなカツの中身は魚のミンチ、これにぴりっとカレーの風味。このぴりっとしたのが絶妙。表面のパン粉はしっとりと油がまわってザラザラしている。これに甘いイチミツボシ加賀屋のソースをかけて、当然炊きたてご飯のおかずにする。これも忘れてはならない典型的徳島のご飯なのだ。
●この「カツ」の正式名は「フィッシュカツ」という。ただしボクは一度も使ったことがない

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津久司蒲鉾
http://www.tsukushikamaboko.com/
三立製菓
http://www.sanritsuseika.co.jp/comp/
阿南市の橘水産魚市場
http://www.kakuhati.co.jp/top/index2.html
徳島市中洲市場
http://www.zukan-bouz.com/zkan/sagasu/tokusimaken/nakasu.html


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コメント(2)

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このページは、管理人が2006年6月 4日 12:37に書いたブログ記事です。

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