八王子『鮨忠』三人組

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左から『鮨忠 第一元八支店』、『鮨忠第二支店』、『鮨忠 第三支店』さん。ボクは密かにお三方を『花の忠三トリオ』と呼んでいる

 八王子にあって『鮨忠』には支店が多いので営業する町の名前で呼ばれることが多い。『鮨忠第二支店』さんは「横川町」、『鮨忠 第三支店』さんは「元本郷」、『鮨忠 第一元八支店』さんは「元八王子」。以後、町の名でお話をすすめていく。
 このお三方のうち最年長なのが「横川町」さん、ひとつ年下が「元本郷」さん、「元八王子」さんはぐぐっと下がって60代である。この三方の凄いところは仕入れがまめであること、また煮いかなどの仕込みが未だに自宅でしっかりとされていること。またお三方とも現役であることなどである。

 そして今、このお三方にお聞きしているのが八王子での寿司屋の歴史である。
「横川町」さんは現役最年長、すし職人になった昭和25年は、まだ食料統制時代であった。このとき寿司を食べるには客は一合の米を持参、それに70円を加えて一人前のすしと交換していたのだ。そして昭和30年代の半ばまで、一人前の寿司は100円という時代が続いていた。このすしというのが今で言う並。今、八王子での並の値段が1000円から1600円なので、ちょうど10倍から15倍の価格となっているのだ。ちなみに長い間「上」とか「特上」なんてなかったそうでみな一様に「並」を食べていた時期の方が長かったわけだ。
 また八王子の市場も今は北野にあるが、昔は八王子駅に隣接していた。それが今の保健所のあるところに移転して、そして北野に移ってきているのだ。

 さて、折々にお聞きした『鮨忠話』、これまた折々に公開していきたい。


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このページは、管理人が2006年8月 6日 11:45に書いたブログ記事です。

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