サケの考現学06 塩鱒を買う01

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 本来日本で食べられていたサケ科というと主なものはサケ、カラフトマスの2種類である。他にもサクラマスや北洋でのベニザケ、マスノスケ(キングサーモン)などがあるが数量からすると非常に少ない。その我が国での二大サケマスが今はどのようになっているのか? サケは次回と言うことで今回は「鱒」であるカラフトマスを語る。
 サケの孵化事業がいまのように盛況になる前には、カラフトマスは我が国でのサケ科でいちばんの資源を誇っていた。だから大量にとれていたカラフトマスに対して「鱒」という概念が生まれ、「鮭」はサケ1種類だった。すなわちサケよりも安い、そして一段低いものであったのだ。

 市場で塩鱒(カラフトマス)を探す。塩鱒は値段が安く、ながく庶民の食卓を潤してきた。まあ戦前戦後はどこにでもあったものだろう。これがなかなか見つからない。
「太田さんに聞くといいよ」
 と何人かがボクに教えてくれる。太田さんは山梨の山間部で食料品をトラックで売って回っている。太田さんが仕入れに来る木曜日、やっとつかまえて鱒のことを聞く。
「ああ、鱒は今でも売っているよ。興実(水産)さんにあるんだけど」
「どうして鱒を仕入れるの?」
「ええとね。サケよりも脂があるし、鱒が好きだって言う人も多いよ」
「安いからじゃないの?」
「違うよ。今、鱒の方が高いと思うよ」
「養銀(養殖のギンザケ)はどう?」
「それも買うことは買うね。でも鱒は必ず仕入れるけどね」

 八王子魚市場「やまぎし水産」の吉村拓治さん
「檜原村でも南秋川の方だけど、昔はね、魚と言ったら塩サンマ、それと鱒に塩いかね。他にはなんにもなかったの。だってねタンパク源というとねカエルね。大きいヤツ。これがうまかったんだよ。他には野ウサギ、ヤマメやカジカもいたけどね」
「サケは食べなかったの?」
「正月、そうだ歳暮でもらったりね。普段は食べかなった。だいたい鱒よりも塩サンマ(丸のまま塩に漬けた物)だもの」

 八王子並木町の「魚茂」の和智茂雄さん82歳に戦前戦後の話を聞く。茂雄さんは山梨県上野原生まれ。小学生の頃、ちょうど太平洋戦争に突入する年くらいに山梨県上野原で魚の行商を手伝うようになった。この頃もっとも大量に売り歩いたのが塩鱒であったという。
「塩鱒は懐かしいね。腹のあたりが真黄色に脂があってね。これをたわしでごしごしこすると、たわしが脂でべとべとになる。うまかったね」
 サケのことを聞くと
「サケは正月にしか見なかったな。高くてね。あれは戦前は一般の店にはなかたんだよ」
 息子さんの潮さん50歳がこれを補足する。
「八王子で店をやっていても昔は普段サケなんて食べなかったもんよ。旦那衆っていたでしょ。機屋(織物業)のお金持ちが食べたものだった」
*八王子は今でも絹織物の町である

 相模原橋本のレストラン「多子作」さんは本年66歳である。相模原でも総菜用としては塩鱒と塩サンマであったという、ただしサケもそれほど高級というイメージはなかったのだという。

 現在、鱒(カラフトマス)、鮭(サケ)はサケ科でもっとも安い、人気の薄い存在になっている。その価格は今期に限ってはカラフトマスの塩鱒がサケを上回って高いのである。それはカラフトマスが好漁、不漁を一年ごとに繰り返し、昨年は不漁期にあったこと。また今では「鱒は安い。サケは高い」という概念が崩壊してしまっているのである。

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このページは、管理人が2007年2月 7日 07:54に書いたブログ記事です。

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