千葉県銚子市田原缶詰「ちょうしたのかばやき さんま」

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 ボクが学生の頃、なぜか知らないが、とあるおんぼろアパート全部が同じ学部、同じ学年で占められていた。すなわち、まるで山賊砦のようであったのだ。当然どの部屋も汚く、そしていつもいつも金欠にあえいでいた。そんなところに毎週ある男のママ(本当にこう呼んでいたのだ)がやってくる。コヤツ、実家が横浜の食料品店をやっている。そのママの愛車が三菱ギャランのいちばん高いヤツであって、その座席にスーパーのカゴが4つ、5つ。中にはインスタントラーメンに缶詰、漬物にお米などなどが、ごっそり大量に入っている。
 さてその大部分が缶詰だった。その多彩な缶詰にはいつの間にか人気のあるなしでのランキングが生まれてきた。ダントツ一位は野崎のコンビーフ、二位はマグロのフレーク、そして堂々の三位というのが「さんまの蒲焼き」であった。ほかにもサケの水煮、シーチキン、桃の缶詰などもあったと記憶するが、貧しい腹減り学生に必要とされていたのは「開けてすぐ食べられる」というもの。そう言えば僕たちは野崎のコンビーフのことを「肉」と呼んでいた。そうだ「肉」に飢えていたのだ。

 三位に位置するのが「さんまの蒲焼き」。角のない長方形の平たい缶に入っていて、「蒲焼き」とあるのに煮つけたような味わい。このしょうゆの味わいを炊きたてのご飯にいきなり2缶、3缶、放り込む。それをしゃもじでグシャグシャに混ぜて混ぜて、それが僕たちの定番朝飯であった。なんと飯を炊くという行為をのぞくと、調理時間1分以下という、飢えている男たちには「素敵なタイミング」料理だった。あとは群馬県出身優等生の持ち込んだ辛い大根のみそ漬け。あの「さんまの蒲焼きまぜこぜ飯」がなぜにあんなにうまかったんだろう。その理由は簡単、腹が減っていたからだ。

 それでは、腹減り度の下降した現在では「さんまの蒲焼き缶詰」を食べていないかというと、ときどきついつい買ってしまうのだ。そして改めてどこのメーカーなんだろうと見てみると、ぜんぜん知らないところなのでビックリした。長年買っていて、お馴染みの缶で、模様で、改めて「ちょうした」という文字に行き当たったのだ。
 この「ちょうした」はロゴマークの菱形の一辺一辺が「丁」の字になっている。そこにカタカナの「タ」で「ちょうした」となる。でもなぜ「丁にタ」なのかはまったくわからない。
 まあとにかく、ボクがときどき買っていたのが「ちょうしたのかばやき さんま」という商品名だったのだ。たぶん八王子綜合卸売センター『三恵包装』が毎回仕入れるのが、たまたま田原缶詰だというだけだろう、と思っていた。それで念のために我が家にある食に関するスクラップを見てみると、ちゃんと田原缶詰のことが載っていたのだ。

 小学館「サライ 1993年11月号」にさんまの蒲焼きの元祖として登場している。これが出来たのが昭和30年代。この平べったい缶を採用したのも田原缶詰の3代目社長、田原久次郎だという。ここに驚くべき事実が載っている。この「ちょうしたのかばやき」の場合、サンマを天日乾燥して間違いなく「焼いていた」のである。今でもそうなんだろうか? またこの缶というのは「二重巻締缶」というものだとある。これはなんだ。
 ここで変なことを思い出した。この四角く平たい缶だけ、山などに行くと「鍋変わりに使っていい」ということだ。これはボク達昆虫少年だけのやり方だろうか? コッフェルで飯を炊き、缶詰を開けてバーナーにのせる。「丸い缶詰は火にかけるな」と言われていたのだ。これと「二重巻締缶」ということにも何か関連がありそうだ。

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 さて、ときどきなぜか買ってしまう。「ちょうしたのかばやき」であるが、いかなるときに食べているのかというと、「中途半端な時間に帰宅したときの酒のアテ」なのである。だいたい10時前後、どこにも引っかからないで帰宅、その中途半端さを持てあますとともにコップ酒でもあおろうかとなる。そこにしょうゆ味の濃厚な「さんまの蒲焼き」がぴったりなのである。こんなときにへたにイカの塩辛など出したものなら取り返しがつかなくなる。だから「さんまの蒲焼き」となる。他の缶詰では「ダメ」なのだけれど、それはインパクトの大小に関わると思う。「優しい穏やかな味」よりも「ちょっと個性的」濃厚でややコクのある味でなければならないのだ。

 ちなみにボクは貧乏極まるお父さんなので立ち飲み屋愛好者である。ときどき立ち飲み屋を見つけると入ってしまう。それでも絶対に入らないのが「酒屋系」というヤツ。関西の「酒屋系」はとても見事なもので、ちゃんとうまい酒のアテがある。ところが東京の「酒屋系」はだめなんだよな。肴がこの「さんまの蒲焼き」、缶詰とか乾きものとか、それをいちいち買い求めて店の隅っこで酒を飲む。それなら帰宅して「さんまの蒲焼き」で一杯の方がよしなのだ。

田原缶詰 千葉市銚子市橋本町1982-1 
遠藤哲夫さんの田原缶詰関連
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sabakan.htm


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コメント(6)

そういえば今日の日経MJ、フードビジネス面に
「青魚缶詰 復権の兆し」の見出しで、
大きく取り上げられていましたね。

サブタイトルは
「復刻版登場、団塊つかむ」
まさにその通りですね。

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さかなやおやじさん、どうもこの手のものが好きなのはオヤジだけではない模様です。

さっそく、ちょうしたを買って楽しんでおります。
どうも、ありがとうございます。
父が銚子の出身なので、やはり嬉しいですね。

うちの前には酒屋があります。
飲み屋ではないのですが、昔はそこでオヤジ達が
酒を飲んでいました。ワンカップなんかない次代、
一升瓶からコップに酒を入れてもらって、この手の
缶詰を肴にして。もう40年も前の話です。

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チョートクさん、缶詰のことは本当は「グルメ缶詰」さんが専門です。ただ銚子は面白いですね。底引きや巻き網など漁にばっかり目がいっていたのですが、それよりも水産加工業の方が裾野が広いかも。こんど利根川周辺でいろいろ調べてみたい。
魯さん、まさかあの会社の「魯」さんんということでしょうか? ボクの親戚には造り酒屋があって、そこでは一合升に粗塩でした。もうこれも40年以上前のこと。

申し訳ありません。
ハンドルを間違えました。
「魯」は15年位前から使っているハンドルなんですが、
こちらでは「鮟鱇」にしています。理由は長くなるので・・・

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このページは、管理人が2007年3月19日 08:27に書いたブログ記事です。

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