2007年5月18日アーカイブ

霞ヶ浦への旅04

0

gogan070518.jpg

 おふたりに霞ヶ浦の魚貝類、漁のことを聞いていく。
 まずは今日の漁の話から。
 霞ヶ浦よりの松田さんの張り網もやはり不漁であったという。
「小野川と霞ヶ浦ではとれる魚が違いますか?
 松田さんは少し考えて
「違うちゅうか、小野川の方が数が入るだな」

 お二人に聞くと、やはり困っているのはオオタナゴとアメリカナマズが増えたこと。それに反してフナが減ってしまったのだという。

tanago070511.jpg

水揚げして選別したもの。半分以上がオオタナゴ。モツゴやアユ、ワカサギは売るほどはない

「それとねこの護岸がだめだべ。できたらもっと斜めに作って欲しかっただな。そうすっと葦とか木とか草が生えるだろ」
 確かに、この垂直に切り立ったような護岸では植物が進出できない。また護岸に沿ってゴミがたまる。とうぜんそれが腐敗して水中の酸素を消費してしまうのだ。国は3年前のコイヘルペス、イケチョウガイなどの死滅をどう考えているのだろう。その結論が霞ヶ浦の汚染した排水を利根川に流し込むというものらしい。でもただでさえ河口堰によって壊滅的な被害を受けた利根川の最後の息の根を止めることにならないだろうか? とにかく今、霞ヶ浦をキレイにするなら、この護岸を生物に優しいものに変えるべきだ。また我々都民はこの霞ヶ浦の水を消費しているという責任をしっかり認識すべきである。すなわちこの国の人々は今、自然に優しい暮らしに移行する必要がある。

seigo0705.jpg

 また河口堰の運用でももっと長い時間開けておくことは出来ないのだろうか? ヌマチチブが減っているのは明らかに河口堰との関連だろう。また今年は「はね(スズキの稚魚)」が多いという。これはどうしてだろう?

 桜川村古渡での漁は春夏秋冬、常に何かしらとれるのだという。なかでも漁の中心はワカサギとウナギ。他にはエビ類がくる。

unagi0705.jpg

まだウナギの水揚げは少ない。そのため、ある程度ためてから出荷する

「今年は稚魚(ワカサギ)が多いべから、冬はいいだろう」
「そうさね。それと雷魚(カムルチー)が増えてきたね」
 カムルチーは何と言っても洗いが最高だという。
「洗い以外でもバター焼きだって、煮つけたってなんでもうまいもんだべ」
 と太い眉毛を動かしながら松田さんが語る。寄生虫の心配があるでしょう? と聞くと諸岡さん、
「そんなの大丈夫。ワシさ、もう40年以上食べてるだね。でもここまでいっぺんも当たったことない」
「そうだな、あれは病気なんかで弱った人だけがやられるんだ」
注/カムルチーは有棘顎口虫の宿主であり、生食は危険である。有棘顎口虫は体内にはいると腸壁を破り肝臓などに移行、また体内を移動する。このとき皮膚が腫れたり、かゆみを感じたりする。またときに脊椎、脳などに入ることもあり死の危険性がある

「フナはどのように調理して食べてます?」
「この辺りじゃ、だいたい煮つけだね」
「洗いなんかにはしないんですか」
「まあ普通はしないな。洗いはコイはするな」
 松田さんも諸岡さんも刺身、洗いはコイではするがフナは煮つけ専門だという。
「諸岡さん、『ごろ(ウキゴリ、ヌマチチブ、アシシロハゼなどの総称)』でも佃煮になるのとならないのとあるって言いましたよね」
「そうだ。ウキゴリは鱗がないだ。すっと味が入っていかない。だから『たっとう煮』っていうのにするだな」
 佃煮は甘辛い味で魚の身に味が染みこむくらいに煮つけてしまうのに対して『たっとう煮』はほんの短い時間、醤油で煮る。
「さっと煮るから、たっとう煮っていうだよ」
 6月になると水揚げはエビ類が中心となる。
「エビはね。潰して汁にするし、佃煮にもすっね。後は唐揚げとか、ただみそ汁にいれたりもするし」
 諸岡の奥さんが教えてくれる。奥さんは、席を外して奥に消えてしまう。
「エビはね。昔は“ささびたし(ササなどを束ねて沈めておき、そこに集まったエビなどをすくう)”や“たる(カゴ)”でとっただ。でも“たる”を作る人がいなくなったね」
 諸岡さんも松田さんも昔は様々な漁をやってきているのだ。
「貝のことはどうでしょう。『たんかい』は食べました」
『たんかい』は「淡貝」のこと。主にカラスガイをさすようだ。
「“たんかい”はよく食べたよ。この辺りじゃ、切り干し大根と煮るだ」
 諸岡さんによると昔はたくさんとれていたという。
「そう言えば堰が出来る前のシジミは黒くてね。それが最近じゃ色が違うだね」
 色の黒いシジミは汽水域にいるヤマトシジミ、そして色合いの薄いのはマシジミであるらしい。

 話し込んでいると奥さんが『ごろの佃煮』『エビの佃煮』『シラウオの釜揚げ』を持ってきてくれる。

ebirui070518.jpg

「シラウオはこれがいちばんうまいべ。釜揚げって言うんだけど、塩ゆでだ。いちばんうまいのは茹でたてだ」
 佃煮は思ったよりあっさりした味付けとなっている。これがお茶に合うのである。またシラウオは塩味がやや強く、
「ご飯があったら最高ですね」
 これはつい口をついて出たことなのだが。

参考文献/『平成調査 新・霞ヶ浦の魚たち』霞ヶ浦市民協会
注文は電話かファックスで
電話 029-821-0552  ファックス 029-821-6209


ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/

改訂記

0

コイ目コイ科タナゴ亜科を改訂
オオタナゴのページを作成
http://www.zukan-bouz.com/koimoku/tanago/ootanago.html
タナゴのページを作成
http://www.zukan-bouz.com/koimoku/tanago/tanago.html

ナマズ目を改訂
アメリカナマズのページを作成
http://www.zukan-bouz.com/koimoku/namazuta/amenamazu.html
ギギのページを作成
http://www.zukan-bouz.com/koimoku/namazuta/gigi.html

甲殻類スナガニ科を改訂
ハクセンシオマネキのページを作成
http://www.zukan-bouz.com/kani/sunagani/hakusensiomaneki.html
ツノメガニのページを作成
http://www.zukan-bouz.com/kani/sunagani/tunomegani.html
チゴガニのページを作成
http://www.zukan-bouz.com/kani/sunagani/tigogani.html

掲載種 1909


ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/

iwana070511.jpg

 ボクが調べている普通の寿司屋の歴史でもっとも多くを教わっているのが横川町『鮨忠』さん。ボクは現役の寿司職人でありながら水戸黄門になぞらえて横川のご隠居と呼んでいる。そのご隠居の趣味が釣りである。しかも渓流釣り、ワカサギ釣りに関しては名人としてつとに有名である。
 そして店を連休にして2日通って秋川の某所で釣り上げてきたのがヤマメとイワナ。ヤマメは小振りであったので唐揚げに、イワナは塩焼きにした。ともに美味であったのだが、ボクが感激したのがイワナの味わい。
 サケ科独特の風味があり、身に旨味がある。皮の香ばしいこともあって、酒の肴として上等であった。このような深い旨さに関しては太郎にはわかるまい、と思ったら子供達も「おいしいね」と箸を伸ばしてくる。
 ちなみに我が家では養殖のイワナはフライパンでソテーしてニンニクの風味で食べる。塩焼きにするのは天然ものだけである。しかし木の芽時の5月になんとも贅沢な渓流の幸であった。

yamame0705.jpg

 ヤマメの唐揚げのかたわらにはワサビの茎の醤油漬け。これも渓流で葉と茎だけつんできたもので『鮨忠自家製』。まことに5月の山は豊かでおいしいものに溢れていることよ。家人ともども新緑の山に分け入りたくなってしまった。

鮨忠第二支店 東京都八王子市横川町477


ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/

霞ヶ浦への旅03

0

morooka.jpg

 魚の選別を終えて、釣り宿・川岸屋の土間でお茶を飲む。
 長閑な5月の朝であり、気温はすでに20度を超えていそうだ。ポカポカと暖かく眠くなってくる。
 土間には大きなヘラブナ、ギンブナの魚拓があり、またブラックバス釣りの写真が飾っている。
「ウチは釣り宿だけん」
 川岸屋は本来ヘラブナ釣りの貸し船、釣り宿であった。それがブラックバスに変わり、現在ではそのブラックバスもフナとともに激減。「まあ釣り宿もオレの代で終わりだな」という状況だという。
「それにね。昔はフナだって、コイだって、『はや(モツゴなど)』だってとれたらとれただけ売れた。それで稼げただよね。それが海の魚がここら辺にも入ってきてからだ。あんまし魚も売れなくなった」
「昔は川魚問屋が強かった、魚を買いたたいたりしたって聞きますね」
「そうだね。昔は問屋が大きかったな。今でもあるだよ、まだ問屋は」

 そこに諸岡さんと同じく張り網を霞ヶ浦にもっている松田さんがやってきた来た。どうも漁の後の恒例のことらしい。諸岡さん、松田さんともに73歳。諸岡さんは漁と釣り宿を経営、田を持っているが貸しているのだという。松田さんは農業との兼業。戦前を知る世代であり、また戦前戦後の霞ヶ浦の変遷では生き証人とも言えそうな人たちである。

matuda0705.jpg

 この霞ヶ浦一帯は戦前には土浦海軍航空隊、鹿島航空隊があり、湖には水上飛行機が浮かんでいたという。
「オレは、ときどきのせてもらってたんだ。水上飛行機だべ。近づいていくと乗せてくれっから」
 松田さんは懐かしそうに語る。
「予科練ですね」
「違うだー。鹿島の方。鹿島と予科練は違うだね」
 朝方、古渡あたりの市街地をクルマで回った話をする。
「あんだ。昔、この辺は蔵が並んでただね。大きいヤツが、今は1つだけ残ってるだが。そのころは“かわはぎ”って地名だったね。でも“かわはぎ”って追いはぎみたいで名前が悪いって変えたけんね」
 霞ヶ浦は陸上交通の発達する以前には海上交通が盛んであった。とくに東京(江戸)と利根川、江戸川、隅田川と淡水域で繋がっていて、当時は高瀬舟の立ち寄る港はまことに賑やかであった。そして霞ヶ浦にも港がいくつもあり、旅館も料亭も遊郭もあった。そしてこのあたりは産物の集積場であったということなのだ。


ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/

月別 アーカイブ

このアーカイブについて

このページには、2007年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年5月17日です。

次のアーカイブは2007年5月19日です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。