京都府南丹市美山町『京和楽』京のちりめん山椒

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 京都府美山町というのはボクがもっとも行ってみたい地のひとつ。京から若狭に抜ける鯖街道とも呼ばれる周山街道の中間にあり、まだまだ美しい日本家屋の多く残る場所。そこでとても美しい女性が大釜で「ちりめん山椒」を炊いている。いいなーー、これ! まるで「番台に上がった若だんな」の気分になってくる。
 そう言えば鞍馬など京都府の山間部で「ちりめんと山椒を炊く」という発想がいつ生まれたのだろう。よく乾燥した、ちりめんは古くから若狭からも、大阪湾、和歌山、淡路島からも、京都にもたらされてきていただろう。それとまわりいちめんに自生する山椒を合わせる。きっと本来は、ちりめん、山椒に醤油だけのとても単純な料理であったはずだ。そう言えば、醤油の登場は室町以後だから、「ちりめん山椒」の歴史も室町あたりまではたどれそうだ。

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 尻高鰤さんにもらった「京ちりめん山椒」の製造元『京和楽』の住所を見ながら、その昔朝日新聞の日曜版にのっていた美山町のかやぶき屋根の写真を思い出し、思いはどんどん辺の方向へ行く。
 このとき都バスは有楽町のガードをくぐり、そのまま東京駅南口に着こうとしていた。ボクは完全に酔っぱらっていて意識朦朧。でも「お土産だけは落とさないぞ」としっかり「京ちりめん山椒」をポケットにねじ込んだのだ。

 当日の夕食はうまいもんてんこ盛り、その日は築地土曜会があって、めじまぐろ(クロマグロの幼魚)、ちりめんに愛媛県産「そーめん(海藻のフトモズク)」、銀子(銀鮭の卵巣)」などなどボク以外の家族はたくさんの美味を堪能する。

 その翌日のこと、かすかに前日のアルコールが残ったまま、気分はなぜか落ち込んでいる。朝ご飯になにも作る気にならず、それでもお釜の火をつけて、思い出したのが「京ちりめん山椒」である。尻高鰤に「ほいっ」と渡されたので期待しないで食卓に出したら「うまい」。ああそうだ尻高鰤さんはあんまり「うまい」「うまい」と言うなよと釘をさされたが、やっぱり「うまいなー」これ。
 なによりも甘味がほとんど感じられないのがいい。舌を刺激するのは、まずは山椒の辛み、ちりめんの旨味であり、しょうゆの風味(決して醤油の辛みではなく)があいまって、少しだけ口の中で甘味を残して消えていく。

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 カレースプーンいっぱいをご飯にのせて、もういっぱいと思ったら、すでに紅茶スプーン一杯分くらいしか残っていない。それを確保してもう一度じっくり味わってみる。やはりちりめんの旨味が噛みしめるほどにジワリと浮いてくるし、山椒も生の実を使っているのか香りほどよく鼻を抜けていく。気になって原材料を見てみると、「ちりめん、実山椒、清酒」だけである。これはもっとも理想的な、ちりめんの炊き方であって、しかももっとも難しい。今回の「京ちりめん山椒」は近年食べた中でももっともうまい「ちりめん山椒」である。

 話は変わるが「京和楽」という文字をみるとボクとしては「いかがわしい」ものに思える。どうにも「和楽」という言葉自体が気恥ずかしく、このような言語を真っ向使う人類が赦せないのだ。本来京に暮らし、京都を愛する人に、こんなわざとらしい言葉が必要だろうか? まったく理解できない次元の造語感だ。でも一転、商売を考えるなら「許してもいい」かなと思う。だいたいこの国の消費者というのはボクも含めて愚者が多いのである。それを「買う気」にさせるには、ある意味、あざとい手を使う必要がある。
 また食品加工業でいいものさえ作っていれば会社名などまったくどうでもいいのだ。こんかいの「京ちりめん山椒」なんてボクにとってその最たる物だろう。以後「京和楽」という文字を見ると期待してしまうかも知れない。

京和楽 京都府南丹市美山町下新中巻5


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この「うまい」には、異議ありません。

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このページは、管理人が2007年6月15日 08:12に書いたブログ記事です。

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