山梨の太田さんに聞いた「さくらえび」の話

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 太田さんは上野原周辺でトラックの行商をしている。
 これは山梨県上野原出身の八王子市並木町の魚茂、茂じいさん(82歳 残念ながら昨年身罷られた)に聞いた話。今では都心への通勤圏となっている上野原というのは山深い土地であって、そのせいか昔から行商がさかんに行われていた。その昔は天秤棒を担いで、急峻な坂道を上り下り、それこそ一日がかりで水産物を売り歩く商人がたくさんいたのである。その商う食料品には山梨ならではの「塩鱒」があり、塩いか、クジラなども売られていただろう。

 さて、太田さんはトラック行商人としては若手である。八王子総合卸売センターにて、大型トラックに大量の食料品を積み込むのが週に3回ほど見られる。その種類の多さには驚愕させられる。野菜、果物、パン、インスタント食品、麺類、豆腐納豆、水産加工品多々。一見、平凡な品揃えのなかにも山梨に残る、古くからの食文化を垣間見ることがある。だから太田さんを見かけると声をかける、話を聞く。

 さて、2007年も終わりに近づきつつあるとき、太田さんが「忘れた、忘れた」といいながら八王子総合卸売センター『フレッシュフード福泉』に駆け込んできた。その忘れ物は暮れから正月にかけてなくてはならないものだという。
「まったく、桜海老(干したサクラエビ、もしくは小エビ類)を忘れたら大変なんだよ」
「太田さん、どうして桜海老を買い込むわけ」
「ウチのあたりじゃ、吸い物に桜海老を入れるんだよね」
「それって昔から、そうだったわけ」
「そうだね。吸い物には桜海老ってみんな言うね。オレが仕事を始めたときから暮れになると必ず桜海老を仕入れてる」

 サクラエビと山梨というと、静岡県沼津との関わりが浮かんでくる。沼津からは古くから駿河湾の魚貝類が送られていたという歴史がある。また沼津魚市場が仕入れ元という山梨県の魚屋はまだ少なくないのである。
 駿河湾でのサクラエビ漁が始まったのが1894(明治27)年のこと。この新しい水産物の売り先としては、関わりの深い山梨はもっとも初期からの地であるはずだ。とすれば正月料理にサクラエビが使われていても、ごく自然の成り行きであろう。

 さて、これはボクの魚貝類メモそのまま。毎日こうやってメモし、資料として保存しているのだ。

ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑、サクラエビへ
http://www.zukan-bouz.com/ebi/konsai/sakuraebi.html


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このページは、管理人が2008年1月 5日 13:42に書いたブログ記事です。

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