最近ではほとんど使われなくなった言葉に「芝煮」がある。
この場合の「芝」は東京都港区芝のこと。
落語「芝浜」の「芝」でもある。
江戸時代、前浜でとれる魚貝類は芝の地に水揚げされていた。
埋め立てが進んで芝の地から海は遙か遠くなっている。
東京タワーの真横で新鮮な魚貝類が揚がっていたなんて、まことに隔世の感があるではないか。
江戸の町の前浜でとれた魚貝類の水揚げの地、芝だからこそ生まれたのが「芝煮」なのである。
東京の味というと醤油辛い味つけが思い浮かぶ。
でもとれたての新鮮な魚貝類を濃い味つけで調理したのでは、元も子もない。
せっかくの魚貝類の味が醤油辛さにかき消されてしまう。
生きがいいからこそ薄味の汁で煮てうまい。
この薄味の汁気の多い煮物を「芝煮」というようになった所以である。
さて、煮物と汁物の境はどこにあるのだろう。
実はどこにもないのである。
例えば煮物の汁の多いものを汁物だと考えるとわかりやすい。
この汁気の多い煮物がまことにうまいのだ。
素材にはちゃんと煮ることで味がついている。
それなのに煮汁自体を飲んでも塩辛くない。
このように加減したものが「芝煮」だと定義しているのだけど、いかがだろう。
専門家の方がいらっしゃるなら、ご意見などうかがいたいものだ。
今回はムニエルにして残ったサンピエール(マトウダイ)のアラと肝、胃袋、それに大根を使って汁物の酒の肴を作ってみた。
一見簡単に思える料理なのだけど、意外に手間がかかる。
大根は下ゆでしなければならない。
魚は振り塩(必須だとは思わない)をしてから湯通し。
ていねいな下ごしらえだからこそ、澄んだおいしい汁が作れる。
うまみたっぷりなのにくどくない、からこそ酒の肴になるのである。
さて、月になんど作っても「芝煮」はうまいのだ。
今回のマトウダイの「芝煮」もうまかったし、発見があった。
骨についたマトウダイの身が思った以上にしまっている。
皮は薄いのにベロンとゼラチン質であるし、口の中で溶けて強い旨みを放出して消えてしまう。
しゃぶっては骨を捨て、大根を食べて、骨を捨てると、最後に汁が残る。
この汁が実はおおとりを飾るものなのだ。
とすると、これまでは前座、二つ目といったところか?
うまいもんだよ、「芝煮」というやつは。
材料
マトウダイのアラ1尾分、水400㏄、酒200㏄、塩小さじ1、醤油少々で味見しながら加減、日高コンブ6センチほど、大根10センチ幅程度、ユズ1個
作り方
1 マトウダイのアラは湯通しし、冷水に取り汚れなどを洗って水切りをしておく。大根は軽く下ゆでしておく。
2 鍋に水、酒を合わせて、アラを入れ、差し昆布をし火をつける。沸いてきたら大根を加えてアクをよくよくすくい取る。
3 大根が煮えてきたら色がつかない程度の醤油、塩で味つけ。このとき味見してやや物足りないくらいがいい。
4 ほどよく大根に火が通り、煮えたら出来上がり。椀にとり天に柚の皮をのせて、柚を絞り込んで食べる。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑、マトウダイへ
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