中央高速に入ったのが前日の夜10時前、岡山には翌5時過ぎに到着、そして市場を見て回ること3時間あまり。このあたりで疲労の頂点がやってきた。昨日の6時前に起きて以来、27時間睡眠ゼロなのである。
このとき、「どこでもいいから飯を食いたい」というのと「せっかく市場でご飯なのだからうまいものを食べたい」というのがせめぎ合う。こんなときいちばん大切なのは聞き込みというヤツ。競り場で聞いた店「備前」というのは土曜日で休み。ヒモマキバイさんが海苔の佃煮「アラ」を買った乾物などを売る店で「うまい店はどこですか?」と単刀直入に聞いてみる。
「そうですな。魚なら『笑福亭』、洋食なら『シモショク』でしょうかな」
その「笑福亭」は目の前なのである。店の前で自転車になにやら積んでいる、おっちゃんに「ここの店おいしいですか?(「この店」というと関東、「ここの」と「こ」がひとつ多いと関西風表現)」、「おいしいでー」とだめ押しをして暖簾をくぐる(自転車に何か積んでヒモにゴムひもをかけているという光景がなぜだかボクは無性に好きだ。どうしてだろう)。
考えてみたら“笑福亭”となると“松鶴”だろう。“松鶴”のファンのおっちゃんが店主? と、店内に入ると若い夫婦が店を切り盛りしている。ちょうど真四角の店内の真半分以上が櫓を組んで厨房。その厨房をおかずの陳列台やポット、湯飲み、そして垂れ下がる品書きなどがあってまことに狭苦しい。
その下がった品書き
●「海鮮¥800メニュー」に、“イクラ丼、うなぎ丼、刺身定食、ズワイガニ丼“
●イクラサーモンの海鮮親子丼¥750
●マグロ丼¥600
●海鮮丼¥750
●日替定食が“ツノギ煮付け”
●その下の、“スタミナセットおまかせ定食”¥650というのは「魚がダメな人にどうぞ」というのが見えてくる。
そのおかずの陳列台を見てみよう。刺身定食は品書きのみ、“奉仕品”というのは今時時代遅れの感があってこれが面白い。見たところサワラの塩焼き。下に「日替定食¥550」とあってカワハギ科の煮つけが並ぶ。これが“ツノギ煮付け”であるらしい。
この店、魚のうまい店かも知れないが、品書きは少なく、選択の余地はほとんどない。これも土曜日で関連棟を利用する人が少ないためだろうか? この選択の余地のまったくないはずのところに、サワラの塩焼きがある。でもこれがちょっと小さいのだ。とすると残るはひとつではないか。
「“つのぎ”ってなんですか?」
まあ、いかにも「旅してきましたボクらは」、と問い掛ける。このようにわかっていても聞いてみるというのが旅の奥義なのだ。
「“はげ”ですね。カワハギの黒いヤツ」
これはわかりやすい。ウマヅラハギを岡山では「つのぎ」と呼ぶのである。
ヒモマキバイさんは感が冴えて当然日替わりの“ツノギ煮付け”に即決、ボクも選択の余地なしと右へならえ。ここで「朝から魚でもないだろう」といった、きんのり丸さんがかなり深く深刻な人生の選択に懊悩しているのが見て取れる。そしてボクが考えるもっとも危険な賭に出る。注文したのが“うなぎ丼”なのである。これは懐にあるのがあと千円札一枚というときに競馬で万馬券を狙うがごとき(ボクは賭け事をやらないのだけど、きっとそうなのだろうね)。この無謀さが、若さなんだろうね? 「きんのり丸青春記」とともに今回もっとも光る一瞬であった。このときのきんのり丸さんには後光が差していたといっても過言ではない。
机の向こうではヒモマキバイさんが「あれ?」という顔つきをしている。この人、魚市場にきたら「魚を食べなきゃならんぞ」というわかりやすい方向性を持っている。このあたりの信念は自宅にいやいや残してきた可愛い子猫ちゃんに「ダーリンは一生懸命魚を食ってくるからねー」と叫んでいるように思える。実を言うと、このときにボクはヒモマキバイさんと友達になれそうだと思った。そう言えば、仕事場で知り合ってもなかなか友は作れるものではない。それに比べると旅はなんともた安く、友を作り出してくれることか。
まずやって来たのは“ツノギ煮付け”。これは予め煮てあるもので、しかもどうやら今まさに煮上がったばかりといった気配である。この膳が見事だ。“ツノギ煮付け”がどでんと左上というのがいい。主役を左上のいちばん目がいきやすいところに置いてあるのになみなみならぬ店主の力量が感じられる。あとはその他足軽といったところだが、ご飯、素直な油揚げ入りみそ汁、黄色いタクワンがいいね。卵豆腐はちょっと残念。卵豆腐というのは食品の世界でも微妙な地位にいる。手作りは高級料理でも、市販品は下手である。それくらい本来襟を正して食うものを、朝の日替定食に置いていいのか? これには現在の天地真理をノーメークで出してきたような無分別を感じるのだ。これが白いただの豆腐ならボクは舞い踊りしてもよかった。そして右上にいるのは足軽組頭になったばかりの木下藤吉郎を思わせるイカとドジョウインゲンの天ぷらである。
注/高速で通り過ぎた地が“小野”“三木”“別所”だというのを忘れないで欲しい。すべて豊臣秀吉と一戦交えた戦国大名である
この市場飯はボクの出会った中でももっともコストパフォーマンスの高いもの。素晴らしいー
この天ぷらに何をかけるべきか? ここでボクは深く悩むのである。岡山という土地では「天ぷらは醤油かソースか」。「天ぷらにかけるのは何でしょうね」と笑福亭主人に聞く。奥さんが「あれ、ポン酢でもあげましょか」、「いえいえ醤油かソースか」ということで「醤油でもソースでもどっちでもお好きな方をかけてくださいね」となった。ボクは「ソースでしょう」という返事を期待したのである。でも岡山でも「天ぷらにソース」が至って日常的であることだけは判明した。
朝一番のみそ汁をすする。この味噌が関東とは違って米麹大豆味噌ながら、甘口である。そして“ツノギ煮付け”の骨離れのいい身を口に放り込む。これがうまーい。煮汁がよく身に染みこんでいて、その煮汁の味わいが関西風でさっぱりしているのがいい。これをたっぷりご飯にのせて、ガツっとかき込む。この瞬間にボクの頭にはサイモンとガーファンクルのブックエンドのテーマが浮かぶ。静かに静かにボクと“ツノギ煮付け”の時が流れていく。幸せだな!
この心地よい時間を破ったのは、きんのり丸さんの前に来た“うなぎ丼”である。それは間違いなく“うなぎ丼”なのだが明らかに『笑福亭』では「これもあった方がいいだろううね」的なもの。ひょっとしたら同じ関連棟の『岡山淡水魚介』で仕入れただけかも知れない。
まあ、きんのり丸さんは放っておくとして、あまり上手に揚がっているとは言えない天ぷらにイカリソースをかける。このイカリソースがいいのである。これがブルドックだったらボクは泣いてしまったかも知れない。岡山では何と言ってもイカリソースでなければならない。でも久しぶりにソースで食べた天ぷらは、それほどうまいものではなかった。
注/今回の後悔のひとつが岡山県での地ソースを探さなかったことだ。後半日生で地ソースを買って来られなくもなかったのに、帰り道を急いだせいで自分で自分を納得させて諦めている
同じ“ツノギ煮付け”を選んだヒモマキバイさんにも満足の笑顔が浮かんでいる。ボクも早食いだが、こちらの膳にもあらかた食い物が残っていない。ヒモマキバイさん、男は早食いがいいねー。
ふと正面を見れば、きんのり丸さんが、丼ではない丸い重の“うなぎ丼”と格闘している。ここにはまったく笑顔はなく、充足感を顔に浮かべているヒモマキバイさんとは好対照である。以後、きんのり丸さんの無手勝流には本人も気が付かないであろう、不思議な人生の輝きがあるのをここに発見したのだ。ボクはきんのり丸さんをして「食の無頼派」と位置づけたい。
ほとんど食べ終えたときに大きな失敗を犯してしまったことに気づく。バカなことに遠路岡山まで来たというのに普通の朝ご飯を、普通に食べてしまったということ。ボクが誇る無限大の好奇心が疲れが頂点に来ていたために影をひそめてしまっていたのだ。失敗だ、大失敗だ。「サワラの塩焼きも刺身も、そして店にある全部注文すればよかったのだ」。ここで2千円や3千円使っても後悔するよりもましだった。
食後のお茶をすすりながら『笑福亭』という店の由来を聞いてみた。するとそこに名がでてきたのは、確かに笑福亭松鶴の流れは汲むものの、その弟子の仁鶴の、そのまた弟子と知り合いだという、それだけの理由で店名にしたのかー。これは五十路オヤジにはつまらんな。
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