土手の上に立って風の冷たさにおののく。身を切るような寒さだ。風に辟易して公園でてんでに散らばる人たちの中に混ざっていると菊地則雄先生が到来しました。前回のように大きな荷物を持ち、ゆったりとした歩幅で歩いてくる。この方、見たところ中国の大人(たいじん)の風格があるなとふと感じる。
旧交をあたためるといってもほんの判月前に会ったばかり。雑談をして、持ってきていたアサクサノリの糸状体を見せてもらう。黒い綿くずのようにしか見えないが、これも実物を見ることが出来るだけでも貴重である。
公園に集まる人が増えてきて、そのなかにテレビカメラやマイクを持つ集団がいる。テレビ朝日、NHK 、フジテレビにケーブルテレビ。「なんがか大事になってきましたね」なんて声が聞こえる。そんな中で意外に目立たなかったのが俳優の中本賢さん。娘が盛んに「あの人と写真が撮りたい」というのでお願いすると、かなり照れた様子で快く応じてくれた。
バラバラに散っていた人たちを、きんのり丸さんが集める。探索会の前の簡単な自己紹介や、菊地先生が作成した資料を受け取り、土手を超える。土手を超えるとき工藤孝浩さんと奥さんから声をかけていただく。実を言うと少々閉鎖的な性格なのでつきあいが狭いところで工藤さんのことを知らなかった。この人、もの凄く面白い。きっと話をすると一日が短くて困ってしまいそうだ。
この会には甲殻類のNob君や尻高鰤さん、鮟鱇さんも来ている。Nob君はご家族で来ていてお子さんが大きいのでビックリした。またチラリと見せてもらった甲殻類の自家製の本もなんだか優れものである気がする。鮟鱇さん、工藤さんと土手から南に向かって下っていく。工藤さんの手には目の細かな網。これ羨ましいな。これで干潟を駆けめぐっていっぱい生き物をすくいたい。考えてみると昨日からの腹痛はまだ続いているのに干潟を歩く内に緩和されてきている。
報道の方達もこのぬかるみには難渋していたようだ
土手を下りると干潟が続き、それが広く張り出したり、またほとんど岸辺まで川が迫り、底が砂地になっていたりする。その干潟から土手にかけて葦原が続く。この葦も干潟の形成、また干潟が安定しているためになくてはならぬものだろう。
この葦の茎にアサクサノリが付いているはずだ。それは2年前の同じ2月。その日は今日と違って暖かく長閑な日であった。対岸の大田区天空橋から海老取川、多摩川に出てアサクサノリを探したのだ。菊地先生やきんのり丸さんに着いていくだけだったが、少しだけ残った葦原に菊地先生がアサクサノリを見つけたときのことは今でも思い出す。それは葦の茎に着く赤黒いビニール片にしか見えないもの。そのときはまだ、それがアマノリの一種と言うことしかわからなかったが、以後、なんどか話す内に、それがアサクサノリであることがうすうすわかってきていた。
ちょうどその場所が対岸に見えるときに、アサクサノリを見つけたと言う声が聞こえた。そして葦原に駆けつけると、まさしくあの赤黒いビニール片のようなノリがへばりついている。周辺を見回すとそこここにその黒いノリが見える。
菊地先生に「やっぱりちょうど対岸にありましたね」と言うと、
「いやいや、もっと下流の方が多いんです。もっと下っていきましょう」
と、足早にぬかるむ干潟を下っていく。
干潟を歩くのはなかなか重労働である。病み上がりのせいもあるが、なんだか疲れを感じ始めた。
干潟はふくらみ、またえぐれて、またふくらむ。その下流のふくらみで流れていたアサクサノリを見つけた人がいる。その間に鮟鱇さんが見つけたのがシモフリシマハゼ。ちなみにこれを同定したのは工藤さん。以後、彼の類い希な同定能力に驚嘆させられる。他にはケフサイソガニ、ヨコエビの仲間が見つかるだけ。今日は体感温度は明らかに氷点下。また水温もかなり下がっているようで生き物の活性は低い。
その干潟のふくらみには無数のアサクサノリが見つけられる。これは、出来ることならなんらかの方法で保護が必要となるだろう。ただ発見者の一人ですからと断りを入れて一口食べてみる。面白いのは市販の生スサビノリはまず、最初にノリの風味が来るのに対し、こちらは甘味が最初に来る。これがグルタミン酸や甘味成分のアミノ酸が多いのではないか?
これがアサクサノリ。干潮時はあしに張り付いていてビニール片のようにしか見えない
公園の土手から2キロ近く下ったろうか、ここで干潟の散策は終了となる。こんどは足早に上流に向かって歩くと、公園土手よりも上流で激しく波打ち際で網を押している人影が見える。あれはどう見ても工藤夫婦だろう。
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