肥満の軽減のためにときどき自転車で遠乗りする。いつもやや上り坂の高尾あたりまで行くのだけれど、西の空当たりからドドドッ、グドルングドルンと重苦しい音が響いてくる。ここがちょうど西八王子駅の入り口。左折して西八王子駅南口に回り「スーパーアルプス」を越えて『魚善』を探す。
『魚善』は間口2間ほどの小さな魚屋、表から、
「善さん、いるかい」
声をかけるとまだ開店準備中らしく冷蔵ケースには発泡スチロールのフタを貼り付けている。
「善さん、なんでこんなフタ貼り付けてるの。みっともないだろ」
「まあね。格好悪いんだけど、ここ触ってごらん」
ケースの発砲ののっていない部分を触れと言う。触るとひんやりする。そして発砲をどかせると、
「触ってみて」
発砲の下はひんやりではなく冷たく痛いくらいだ。
「わかっただろ。この差が大きいんだよ。ウチなんてお客が来るのが夕方だからさ、まだ準備中ってこと」
空は真っ黒になって風が出てきた。店内に入ると、マイワシの酢締めの仕込みをやっている。気温は30度を遙かに超えているだろう。店内に入るとほっとする。青白い蛍光灯の下でみると、ちょっと善さんの髪の毛薄くなったなと思う。でもだからといって疲れている風でもなく、いつもながらに淡々としてマイペースの語り口を崩さない。
「やっぱ、今、サバはダメだな」
手開きにして塩をしたマイワシを酢に浸す。薄くなった髪の毛のことが気になって、つい、
「善さん、店は始めてどれくらい」
突然紋切り型の質問を投げかけた。
「そうだね。魚屋になって40年目だから、どれくらいかな。ここは25年くらい」
善さん、娘が成人を過ぎているとしても、どう見ても50代前半、40年はないだろう。
「昔さ、練馬の東伏見、西武新宿線の、12くらいだったかな、『魚善』という店でアルバイトしてて、そのまま14年くらいいたかな」
「じゃ、なに、善さんがこの店を始めたわけ、次いだんじゃなくて。練馬からののれん分け」
「そう、練馬の『魚善』はなくなちまったけど、そういやあ子供のときも好きでいってたんだろうね」
「オレさ、魚屋が好きでね。なんて言うのかなお客が来てさ、いろいろ聞いてね。刺身を引いてあげるだろ。一言二言話をしてさ」
外を見ると行き交う人が傘を差している。雷の音も凄まじい。
「梅ジュース飲む」
グラスに氷、そこに梅ジュースを入れて水で割ってくれる。
「これウチのの手作り」
まな板に向かってマコガレイ、ヒラメの縁側を切り発砲の船に乗せてラップでくるむ。そのマコガレイがいい色合いである。『魚善』では養殖魚を使わないので、白身が多くなるんだと思われる。また塩ゆでした磯つぶ(エゾバイ)をこれもパック詰め。
「あのさ、こっち(八王子)へきて驚いたの。こっちはさ魚屋だと刺身切ってパックに詰めとくじゃん。これいやなんだよね。できればさ、客の注文で切りたいわけよ。だってさ切って時間が経つとどんどん味が悪くなるだろ。そんなの食って欲しくないんだよな」
「でも今時、魚屋とあれこれ話していく人も少ないだろ。仕方ないよ」
「わかってるんだけど、この前も女の人が刺身を買うっていうんだけど、それがさ、お父ちゃんが帰ってくるの11時過ぎだっていうの。それなら自宅で刺身に切って欲しいって言ったわけ」
「それじゃ商売になるわけないだろ」
「そうだよね。でも注文受けてから切りたいよね」
外は土砂降りの雨、ここがいちばんの降りと思われた。
「もう少しだね。西の方が明るくなっている」
電話が頻繁にかかってくる「お弁当用のサケの切り身とっておいて」だとか刺身の予約。またあとから奥さんが来て配達もする。
「まあ、オレ、魚屋が好きなんだね。おいしい魚売って、店で『おいしかったよ』って言ってくれる。これがいいんだね」
店の前の平のケースには丸、切り身が満杯になっている。そして刺身も並んできて、
「がんばってよ善さん」
嵐は去っていったが雨は降り止まぬ。傘を借りて帰ってきた。浅川の上にかかる虹の美しいこと。
魚善 東京都八王子市散田町3丁目21-25 電話042-664-2130
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