荒川区東日暮里「魚正」

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 時間があると無駄歩きをする。歩くのは下町の商店街が多く、そこで「いいな」と思った魚屋を見つけると「しめ鯖(大阪では生ずし)」を買う。
 個人で経営する魚屋が年々減少している。これはとても残念であるとともに、子供を持つ身には「食を学ぶ場所」が消えつつあるわけで大変嘆かわしい。今時の政治家や都知事は「破壊者」ではあっても「温存」を重要視する、「平和的な存在」ではない。だからまだまだずーっと魚屋の減少は続いて行くに違いない。早く一軒でも多くの魚屋を見て置かなくては絶滅してしまうのだ、魚屋が。

 横道にそれるが、今時流行(流行でしかない)の「食育」というのがある。これを声高々に言っているヤツら、どこかずれている。またおかしい。「食育」が無農薬・自然食と置き換わったり、「料理を楽しみましょう」なんてバカ野郎までいるのだ。「食育」というのはそんなもんじゃないだろ。無駄金、無駄な労力を使うよりも「子供達を、また食に無知なヤカラを魚屋に行かせろ」、その方が何千倍も意義がある。

 閑話休題。
 西日暮里から三河島、そして地下鉄日比谷線三ノ輪橋駅に向かっているとき、突然煌々と灯のともる店が見えた。冷蔵陳列台(この言葉正確ではない)があるので魚屋に違いない。
 時刻は5時前。店の中には優しそうな女将さんがいて「めじまぐろの刺身」を並べている。その横に「しめさば350円」「さんまの酢300円」。

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 これはどうみても自家製のもの。値段も安くて「いいな」と思っていたら、女将さんが出てきて
「なにか差し上げましょうか」
 この間がなんとも絶妙である。
 もう一度陳列台をみる。よく見ると中がピカピカにみがかれてる。「さんまの酢」というのに少し惹かれて迷ったが初志を貫徹して「しめさば」を買う。
「あの少し撮影してもいいですか」
 おずおずと聞くと
「いいですよ。どうするんですか」
「いえ、下町歩いてしめ鯖を買うのが趣味なんです。この店は何年くらいやってるんですか」
「ウチは2代目なんです。お父さん何年くらいね」
 店の前を掃除していたご主人が、
「どこから来たんですか」
「八王子の方なんです」
「へえ驚いた。ええとねウチは60年かな」
「この辺りも昔は賑やかだったんでしょ」
「そうだね。昔はにぎやかだった」

 最近気がついたことだが、魚屋さんや和菓子屋、パン屋さんで創業の時期を聞くと「60年くらいかな」というのが多いのだ。これを単純に考えると終戦後すぐの食糧事情のもっとも悪い時代にあたる。街の復興よりも「まず食べること」が最優先だったのだろう。それを裏付けるかのごとく1946年に復活したメーデーを「食料メーデー」と呼んでいる。

「魚正」の間近にオリンピックというスーパーがある。ボクとしてはスーパーとは今のままでは「食文化の破壊者」でしかない。たぶんまだまだ健在な商店が多いとはいえ、この商店街もこのような大型店舗につぶされてしまうのだろうか?

 ぼんやり考えていると「魚正」のご夫婦が
「また立ち寄ってください」
 優しい声をかけてくれた。

 さて自宅に帰り着いてさっそく「魚正」の「しめさば」を肴に酒を飲む。この「しめさば」がうまいのである。酢はやや控えめ、ほんのり味わいに甘味を感じるのは砂糖を使っているのかも知れない。使っているサバもいい。家人などボクの肴だというのに半分以上横取りをする。失敗したと思ったが遅い。
「さんまの酢も買えばよかった」


魚正 東京都荒川区東日暮里1丁目31-1 03-3801-0046


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コメント(3)

先週東京に出張でした。
千住の市場も行きました。あの街はやっちゃ場があったせいなのか、商店街はいまだ健在(青森と比べて)で嬉しかったです。東京は商店街が元気ですね。
「食育」に、行政色と変な思想色が入り込んでいるのは否定できません。
またおっしゃるとおり量販店はある意味は食文化破壊者かも知れないです。
実際の食現場が、家庭・街から無くなりつつある現在、どうやって食文化を生き生きとさせていけるか、どのようにお考えでしょうか?

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ぼうずコンニャクさん、こんにちは…
 …アバタノオジサンです。

私も、この辺りの街を良く歩きます。
三河島の仲町通り商店街から、三ノ輪橋銀座(ジョイフル三ノ輪)まで歩き、都電荒川線で帰ったり、或いは、その前に「よみせ通り」「谷中銀座」のコースが付け加わったりします。
中でも気に入っているのが、仲町通りです。狭い通りに狭い間口の店が密集し、朝鮮系の店も多く、朝鮮語が飛び交っています。
恐らく、昔はスラムと言って良い程の街だったと思いますが、現在の表面上の日本社会とは別の歴史が感じられるのが良いんですね。
歴史と云えば、昭和37年5月3日の三河島事故は、荒川保健所より少し三河島よりの地点が現場になっています。
当時の事故現場の新聞写真に煙突を認める事ができますが、これは仲町通りよりもう一つ線路寄りに現在もある「藤の湯」の煙突ですね。

さて「商店街の魚屋」と云う話題に戻ると、一つ気になる魚屋が駒込の染井銀座にあります。
駒込駅の巣鴨寄り出口から本郷通りを飛鳥山方面に少し下り、霜降り橋交差点のスーパー「たじま屋」脇の路を入ると「霜降り銀座」と云う商店街の名前が、直ぐ「染井銀座」に代わった当たりに「二木商店」と云う、家族経営らしき小規模の魚屋があります。

http://www.someiginza.com/shop/niki.asp

この店の注目すべき点は、一年中「活けの泥鰌」を扱っている事ですね。
寒泥鰌は茨城県で「掻掘」で獲った物だそうです。

機会が有れば、覗いてみたら面白いですよ…。

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毎日相模湾の魚を追いかけていて、しかも仕事もアリという状況で頭がクラクラするし、頭痛が激しくダウンしてしまいそうです。もう年かもしれません。
さてtamukaiさん、私思うに「食育」を考えるなら行政ではなく僕たちオジサンや個人商店など一般人ですね。スローフードに信仰心をもっている人や政治家、教師ではダメでしょう。
それとアバタノオジサン、私が三河島へ行っているのも鉄道事故がどのようなところで起きたのかを地理感として持っていたかったからです。また「三ノ輪銀座」ですよね「ジョイフル三ノ輪」ではなく。

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このページは、管理人が2006年11月19日 09:38に書いたブログ記事です。

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