塩鱒に関する昔の話を魚屋さん、またいっぱんの方達にも話をうかがってきている。そこには予想もしなかった昭和史というものが見えてくるのだ。でも聞き書き、文献を漁るなどの前に、実際に塩鱒を食べてみたい。
八王子総合卸売協同組合「興実水産」で見事に切り分けられた塩鱒。頭と尾の部分などを鍋仕立てにしてみた。これはなぜか旨くできなかった。昆布だしを取り、まず湯引きした塩鱒を入れて少し煮る。きっと煮ていく間に塩が出てくるだろう。だから塩加減は最後でいいだろう? と思っていたのだがまったく塩分が出てこない。昆布だしを取る次点で、すなわち火をつける前に鱒の切り身を入れるべきだったのだろうか。
結局、ただ焼けばいいのである。脂がない、と思いこんでいたのは大きな間違い。初夏のいちばん脂がのったときにとれた「鱒」である。焼いてほぐすと透明な脂が照り返すように光る。身がしっとりしているし、なによりも皮が香ばしい。
これは「丘」と言われるものだろう。すなわち塩水につけたものではなく、塩を振り、すり込みしたもの。単に塩鱒と言うよりも「塩引き鱒」と言うべきかも知れない。塩をすりこみ時間をおくことで熟成された旨味が醸し出されている。そしてなによりも枯れた皮の風味がいいのである。
またここでお茶漬けとしたのは厳密には違っている。正確には湯漬けである。最近、発見したことなのだが(遅すぎるかも)、魚や動物質のおかずには「煎茶」「ほうじ茶」など、とにかく茶葉の旨味は不要である。湯という素であるからこそ、旨味のあるおかずの味わいが生きる。
「塩鱒」を焼く、焼きたてを箸で適度にバラしてご飯にのせて、茶碗の縁から熱湯を注ぐのだ。けっして熱湯を塩鱒にかけていけない。これでは塩鱒の旨味は早く染み出すだろうが香ばしさが失われる。家庭で楽しむお茶漬けだからこそ味わえる上質な味わいを楽しむには心配りが大切なのだ。
塩鱒と湯とご飯とをかき込む。その「塩鱒」を口の中で噛み砕いたときにジュワッと旨味の広がりくるのが凄い。まるでナイヤガラ瀑布の真下で飛沫を浴びるような衝撃を感じる。その上、皮の香り、鼻に抜ける香ばしーい気体には陶然と我を忘れてしまいそうだ。
しかも塩鱒とご飯とお湯なのだから三杯食っても四杯食っても太りはしないだろう。これは我が家では新たな常備菜となる。そしてますます肥満が気になって動きが悪くなったら「今日は塩鱒茶漬けで我慢しよう」と幸せな決断をすればいいのだ。
閑話休題。
塩鱒は安くて、そして焼きたてはうまいのである。そしてそして自然にも優しいので、もっともっと人気のおかずになってもいい。「美しい日本」をとりもどすためには無駄なダム(長野県でまた無駄ダムを造り始めた悲しいな)や道路を造らないで「塩鱒」を食べるべきだ。べきなのだ!
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