「たれ」という言葉は水産世界では千葉県での「クジラ」、静岡県での「イルカ」とあって、三重県では「サメのたれ」となる。
それぞれ材料は違うが、みな干物であり、基本的には塩味のもの。
千葉県太海にはクジラの解体を見に行って、これを「たれ」用に販売する。それを買い求めに来た人たちに「なぜ『たれ』なのか」と聞くとツチクジラの身をやや薄く真四角に切り、塩水に漬ける。これを干すときに塩水が「たれる」ために「たれ」という名がついたという。どうも静岡県でも同じであるようだ。これが三重県では干したときに「たらして」干すがために「垂れ」だという。
延喜式や奈良時代の木簡には「鮫楚割」というのがあり、これが現在の「サメのタレ」にあたる。「楚割(すわやり)」とは魚の身を細長く切り、「楚」=「木の枝」のごとくして塩漬け、干したもの。これが中世には「たれ」となる。またこのサメの干物は伊勢神宮、香取神宮、津島神社などの神饌でもある。神饌としての「たれ」は「楚」すなわち木の枝のように細長くするのではなく、塩漬けのサメ肉を長方形に切り、干すもの。これなど現在の「サメのたれ」よりも千葉県の「クジラのたれ」「イルカのたれ」に似ている。
とすると、本来「楚割」はサメだけではなく、魚全般にわたって「干物」を差し、消費する都、または国府などでの言葉。それに対して「たれ」というのは産地での言葉ではないか。なぜなら「塩たれる」にしても「干すときに垂れ下がる」にしても「作るときの工程」を表している。それが時代をへて天皇家を中心とする中央集権国家が崩壊して、中世になる。地域ごとに統治者が現れて、租庸調などの体制も崩れる。当然、消費地である奈良、京都での「楚割」の言葉は消えて、産地での「たれ」が残る。この生産地での言葉が伊勢志摩に置いて主にサメの干物になり。また静岡ではイルカの干物に対する言葉となる。沿岸捕鯨の地、千葉ではクジラの「たれ」が残った。
左のみりん干しは「楚割」の形に近く、右の塩干しは神饌に近い
さて、「サメのたれ」に的を絞る。その昔、三重県では志摩地方で「サメのたれ」が作られ伊勢に送られてきたのだという。それが現在では東紀州(三重県西部)、和歌山県が生産地になっている。これが伊勢地方に送られてきていたのだ。すなわち長い間、「サメのたれ」という言葉も食べるのも伊勢地方が主であり、あまり他の地方では食べられてこなかった。その内、和歌山でお土産で売られるようになり、また消費されるようになって、「サメ」という言葉を嫌い、「メカジキの干物」と称された時代がある。それでは嘘になるとして「勝浦干し」と呼ばれるようになっているのだという。この「勝浦干し」というのも確かめる必要がある。
この「サメのたれ」が食べてみたくなって、宅配してくれる業者を調べているときに我が甲殻類の師でもある沼津の飯塚栄一さんから「お伊勢参りに行きます」というケータイをいただく。これは好機だと、買ってきてもらったのが画像の干物たち。サメのみりん干しと塩干し、そしてウツボである。
本来「サメのたれ」は塩干しであって、味醂干しは戦後から作られたもの。でも最近は味醂干しの方に人気があるのだという。また「サメの」と原料名がつくようになったのも戦後のこと。本来はヨシキリザメ、オナガザメ、アオザメ、シュモクザメなど「サメだけで作られていた」もので単に「たれ」と呼ばれていた。これが戦時中、エイでも作られるようになり、下級な「エイのたれ」に対して「サメの」をつけるようになったという。
「サメのたれ」は軽く炙って手でちぎって食べる。これが思いのほか美味である。クセのない、やや旨味の薄い味わいながら、酒の肴に、また塩味のほど良さからご飯にもあいそうだ。味醂干しは塩干しの、ややもの足りぬ味わいを甘味で補ったものだろうが、サメ肉本来の味わいは消えてしまっている。
サメを干物にするという地方は少なくないという。これも追って調べる必要があるだろう。「たれ」という言葉に関してもそうである。この言葉が残る地域は千葉県、静岡県、三重県以外にもあるのだろうか? 我が課題はまだまだたっぷり残っている。
マルサ海産 三重県北牟婁郡紀北町紀伊長島区長島1189-146
海老丸 伊勢市宇治中之切町52で購入
沼津飯塚さんからいただく。「飯塚さんの海の世界」
http://www.numazu.to/sea/
参考文献/『鮫』矢野憲一著(法政大学出版局)
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/
突然ですが明日は福島県原釜、小名浜に出かけます 後の記事 »
戸田でいただいた青アジ(マルアジ)の刺身