高洲に立って西に瀬戸大橋、そして鯨島。鯨島の方に武内さんと向かう。そこで高洲潮干狩り名人の飯田さんに会う。
最初に干上がった場所から西に向かうと、アマモの群落に行き当たる。それはそれは美しい真緑のアマモが瀬戸内海の潮の流れの中でたゆたっている。
「ゆっくり足に引っかかるものを探しながら歩くんです。タイラギは立てになっていますので板の端に当たったように感じます」
そのとおりにゆっくりゆっくり歩いていく。いつの間にか武内さんの手には「姫貝(アケガイ)」がひとつ。飯田さんも小さな「たいらがい(リシケタイラギ)」を持っている。
アマモの間にはネズミゴチ、エビジャコが走っている。ハスノハカシパンだろうか点々と落ちているかのようだ。モエビ(ツノモエビ)、サンショウウニ、サルエビ、カイカムリも見える。
右手に見えるのは鯨島。梅雨のゆぬまの青空に刷毛で描いたような白雲がかかる。本四連絡橋、鯨島、対岸讃岐、そして東に見えるのは直島だろうか? この景色はまことに心に残るものである。
アマモの中を手網ですくうが意外にもなにもとれない。足に当たるものを感じて探るとボールのような軟らかなものを拾う。なんとこれがヒガンフグである。手に持って撮影しようとしたらヌルっと逃げてしまった。
足元にしっかり硬いものを感じたのは高洲に来て1時間以上経ったとき。ここで見つけたのが小さなハボウキガイ。つづいてアカニシを2個。遠くに座り込んで一心に砂を掘るヒモマキバイさんを見つける。バケツにはたくさんの「姫貝(アケガイ)」「石貝(オニアサリ)」が入っている。そこにきんのり丸さんも来て、そのバケツにはタイラギが入っている。
高洲の潮干狩りも終盤だという、なかなか獲物が見つからない。
武内さんもすっかり干上がった高洲に来て「今日は少ないですね」と言う。
確かに潮干狩りとしては獲物が少なすぎる。でもこの獲物の多彩さには驚かざる終えない。
ふと自分のバケツを見ると、びっくりしたことにいつの間にかマツバダコが一匹、いや無数にいる。子供を守っていたお父さんダコだろうか、その回りに小ダコがわんさか。これは拾ったアカニシに入っていたらしい。大急ぎで撮影して海に帰してやる。
「おーい」
武内さんが呼んでいる。近づくとそこには大きな穴があって、竹の串が刺さっている。
「これ『白みる(ナミガイ)』の穴だと思います」
その竹の串を中心にして武内さんがワッセザッセザッセとスコップで1メートルほども掘り下げる。そしてヒモマキバイさんが水をくみ上げ、武内さんが手を突っ込んで掴み揚げたのが立派な「白みる(ナミガイ)」である。
高洲での潮干狩りの特徴はアサリがほとんどとれないということだ。そのアサリに代わるのがアケガイとオニアサリ。そして熟練するとナミガイ、タイラギ、ハボウキガイ、アカマテガイ、マテガイ、キヌタアゲマキなどがとれる。この多彩な獲物は潮干狩りする人々が徐々に開拓していった獲物である。
画像は左からリシケタイラギ、ハボウキガイ、上の段のハマグリ型二枚貝は左からサルボウ、「石貝(オニアサリ)」「姫貝(アケガイ)」、中央がアカマテガイ、隣が当日たったひとつとれたアサリ、その右がキヌタアゲマキである
さて既にボクはこのときあまり動けなくなっていた。疲労がピークに来ていたのだ。それに反して元気いっぱいなのがヒモマキバイさんである。武内さんのナミガイとりにも参加。またキヌタアゲマキも積極的に掘りとっていく。
瀬戸内海の小さな湾に残されたアマモ場である高洲。キヌタアゲマキを無心に掘るヒモマキバイさんを見ながら、こんなことを毎年やっていて大丈夫なんだろうか? と心配になる。
「毎年、どんどんアマモは生えてくるそうです」
武内さんの言葉からも瀬戸内海の再生力の高さを感じる。でも東京湾漁師である、きんのり丸さんにもボクにも若干の危惧は残ったままである。
ボクなりに考えるのは、高洲でのアマモの状況をいちばんよく把握するのは他でもない潮干狩りをする人たちだと思う。特のそのなかでも飯田さんや武内さんなど高洲のプロと目されている方達はアマモにも気を配ってくれるだろう。
西の空が赤く染まってきている。美しすぎる瀬戸の夕焼けである。ボクの頭はこの景色に空白になる。
高洲の潮干狩り
http://www.tamano.or.jp/usr/karakoto/siohigari.html
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/
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2007年6月16日 岡山の旅13 刺し網をあげる