名古屋市『以ば昇』の櫃まぶし 01

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 午前6時過ぎからの市場巡り、名古屋の旅は歩いて歩いて、歩き疲れた。
 睡眠時間は2時間ほどだろうか、名古屋中央市場、柳橋市場、そして大須の公設市場を見て11時を回っている、。
 この間、ほとんど歩きっぱなし、とてもこれ以上は歩く気力もなく、大須からタクシーに乗る。

 タクシーを拾うまで熱田にある「蓬莱」に行くべきか栄にある『以ば昇』に行くべきか決めかねていた。
 今回の旅は名古屋ならではの食を求めるというのが目的なので、その締めくくりがウナギ。
 名古屋でウナギと言えば「櫃まぶし」となる。
 タクシーにのった道の側、距離からして、栄に向かう。
 このタクシーの運転手さんが親切で、話好きだった。
「『以ば昇』は、昔からあそこにありまして、子供の頃、(店の前、もしくはあたりで)煙が出てるでしょ、その前で匂いを嗅ぐのがすきでしたねー。それにちょっと贅沢というと、ウナギでしたね」
「櫃まぶしですね」
「いやー、蒲焼きでしたね」

 ここで愛知県尾張地方の話をしておきたい。
 名古屋から木曾川三川周辺はこの国有数の水郷地帯であって、湿地のなかに河川、水路などが縦横に流れていたのだ。
 これが幾多の災害をもたらしたでであろうし、巧みな土木技術を生み出してもいる。
 戦国武将が尾張地方からあまた出たのは、流域で発達した流通・経済であり、この土木技術による。
 さて、ここで食べられていたものは、当然伊勢湾の海の幸もあるだろうけど、それ以上に淡水魚、汽水域の魚貝類だろう。
 尾張地方で食べられている淡水魚は多種多様で、ナマズ、コイ、フナ、タナゴ類、モツゴ、オイカワ、ウグイ、タニシ、イシガイ科の二枚貝、シジミなど数え上げたらきりがなくなる。
 当然、ウナギは淡水・汽水域での魚貝類ではもっとも美味なもの。
 “淡水魚を食べる食文化を持つ地域にウナギ屋が多い”と思えるのだけど、いかがだろう。
 ここでウナギ料理の歴史にも触れたいところだが、簡単に。
 江戸時代最大の幹線道路であった東海道に近い名古屋は、当然ウナギ料理の改良にも先取的であったはずだ。
 特に注目されるのが「ウナギを割くようになった(開くように)」時期。
 もともとウナギはぶつ切りにして串に刺して、そのまま焼いていた。
 それを割く(開く)というのは革新的な技術だったのだ。
 これがどこで開発されたのか、またいつ始まったことなのか、などまだまだ研究の余地はある。
 また様々な説があることも銘記すべきだ。
 ただ漠然とだが「ウナギを割く」というのは江戸時代なかば、また醤油と味醂で甘辛いタレを作ったのも、そのころではないかと思っている。
 ウナギを食べる文化を持っていたこと、幹線道路に近いことで、名古屋は早々とそれを取り入れたに違いない。

 それが証拠にウナギを割く包丁には東京、名古屋、京都、大阪で4種類あるということも挙げられる。
 東京は荒川(現隅田川)から東が古くは水郷地帯であった。
 京都は鴨川があり、琵琶湖が近い。
 大阪は淀川・大和川水系の扇状地帯にあり、ここの湿地がひろがる水郷地帯であった。
 そして尾張地方がある。
●02へ続く。

2008年7月10日
愛知県名古屋市中区錦3-13-22
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑(いちばぎょかいるいずかん)へ
http://www.zukan-bouz.com/


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コメント(4)

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尾張水郷とウナギ。この関係は微妙ですね。
ウナギは実のところ土着の文化、的な要素が薄くて、外食産業が発達した時期に一気にうなぎ屋が増えたんではないかとみています(仕入れるのは豊富な資源が近くにあるので簡単ですからね)。
「うなぎなんか食べれんかった」という川漁師の方の言葉を思い出しました。うなぎ御殿の時代ですね。
話が逸れそうですが、私はひつまぶしといえば津島の「こころ」か、浄心の「しら河」が秀逸だと思います。蓬莱は好みません。

そういえばですが、三重県の津というところはウナギ屋が多い。ウナギ屋の多い尾張名古屋地域の私にしてみればどうってことないのですが、多いみたいです。それで消費量も一位なんだとか。これは何故でしょうね。ちなみに津では川魚はほとんど食べません。うなぎしか食べないのです。

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うなたろう君、鳥取の石がま漁のことは大丈夫ですか、滞っていたら電話をください。
さて、ウナギのことなんですけど江戸時代以来非常に高価なものだったと思うんです。
だから商業とか武士の多い地域や街道筋(例えば新居宿)で食べられた。
そこでウナギの食文化が進んでいった。
そして当然、近くに供給源があった。
供給地では売り物にならない魚を主に食べていた。
これは利根川の川漁師から聞いた話です。
もちろん古くはワイルドに食べていたんでしょうけどね。
また三重県でのウナギ屋のことはよく聞きます。
四日市、津など、いちど食べてみたいと思っています。
こんがり強く焼くのでしたよね。

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一応連絡は取り合って?います。
津でうなぎを食べる機会がありましたら「うなふじ」に行くべきでしょうね。駅近くに限定するのであれば大観亭、でしょうか・・・。

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このページは、管理人が2008年11月26日 10:26に書いたブログ記事です。

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