尾鷲の甘辛 サンマ丸干し

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三重県尾鷲は遠いのである。
伊勢の玄関口、桑名や官庁所在地津から
一山も二山も越えなくては行き着けない。
熊野の深い山をあきるほど越えるとやっと海辺に出て、
そこが尾鷲だ。
水産の盛んな土地で、太平洋、熊野灘の豊かな海を前に、
日々(にちにち)豊かな魚貝類が水揚げされている。
古くは魚貝類の大方が相物(加工品)となった。
塩物(塩蔵品)、乾物となって山を越えていく。
山の向こうにある奈良県十津川や吉野へ送られ。
伊勢や津(この地名は滋賀県大津とともに重要な港であった痕跡)、
鈴鹿などにも熊野灘の相物は行っただろう。
奈良県南部は現在でこそ過疎に悩む寒村であるが、古くは林業で栄えていた。
その重圧な労働を支えたのが熊野灘の相物であったのではないか?
作家の宇江敏勝さんの文章を読むたびに、
吉野熊野の山々を駆け巡り暮らす人のことが忍ばれ、
またその暮らしを支えた一旦が熊野灘にあったに違いないと感じる。
 
さて、ここで尾鷲の岩田昭人さんからいただいた
サンマの丸干しのことだ。
尾鷲では干ものを強く干す。これを「かんぴんたん」という。
「かん」も「ぴん」も「たん」も擬態語のようであり、
固く、硬く、鋭角的であることを表している。
干ものは今でこそ、まるで生鮮品のように生なましいが、
古い形が、この「かんぴんたん」なのだ。
「かんぴんたん」だから山をいくつも超えて送ることができた。
冷蔵冷凍のない原始だから生み出したもの。
吉野熊野の広大な林野を背負った尾鷲だから
作られたものが「かんぴんたん」だ。
この古くからの「かんぴんたん」をそこはかと感じることができるのが、
今回岩田昭人さんにいただいたサンマの丸干しだ。
 
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もともとは熊野の男たちが1本を3等分して、
二個弁当につけて山に入ったという。
山仕事に持っていく大量の飯に2切れだから、
かなり塩分濃度は濃いものだったのだろう。
今回のものは薄塩で、たぶん強く干した分、
1本の干ものの塩分総量は今時の生干しよりも少ないだろう。
こいつを軽くあぶり、噛み締めるとじわりじわりと旨味がしみ出してくる。
噛み締めることが少なくなっている今時の子供たちにも
くわせたいものだ、なんて思いながら、また噛み締める。
 
基本的に干ものは保存性を高めるためのもの。
保存性は言い換えると「時間」であり、
「時間」が生み出すものが旨味ではないだろうか?
今時の干ものは無塩(生魚)に近いけれど、
旨味が少なく、例えば味の奥行きである渋みや程よい苦みに欠ける。
日々、この味気ない今時の干ものを食べていて、
稀に昔ながらの「かんぴんたん」に出くわすと、
そこに目から鱗的なうまさを感じて目がウルウルして困る。
ついでに酒がうまくて困る、困る、のだ。
 
いわずもがなだが、「かんぴんたん」は不思議なほどアルコールに合う。
甘口辛口問わず日本酒、ウイスキー、焼酎、老酒にワイン、
ここまで挙げるとただの呑んべいだと思われかねないが、
酒と「かんぴんたん」は離れがたし、なのだ。
 
尾鷲の干ものなどは北村商店(三重県尾鷲市瀬木山町3-31)ほかにて
岩田昭人さんの三日に一魚

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このページは、管理人が2012年3月21日 01:37に書いたブログ記事です。

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