タクシーで市街地まで帰ってきたら道路際に酒蔵を見つけた。
『片倉酒造』だった。
地酒を見つけたら「買う」のが信条なので買おうと思ったら
観光バスが横付けして、傍若無人な老人達がやりたい放題。
うるさくて試飲もできない。
やっと試飲できたと思ったら、好みから外れている。
「入らなければよかった」
酒蔵から信号をいくつか超えて右折すると、
たくさんのテキ屋の屋台が並んでいる。
なんだかいやだなと思う。
どうにもこうにもテキ屋の売っているものには興味が持てないのだ。
ようするにボクの分野ではない。
それでも長々と続く屋台店には気になる物がある。
昔ながらと思われるはでな下げ飾り。
売っている人に何というのか聞くと
「知らないという」
それとダルマに"煮いか"。
子供の頃、徳島県の山間部に"焼きいか"はあったけど
"煮いか"の記憶がない。
この長々と続く屋台に"煮いか"を売っているのが思った以上に多い。
これは東京でもそうなのだろうか?
それとも栃木県の特徴か?
この賑やかな「花市」は「六斎市」が起源だという。
年の最初の市で、「初売り」もしくは「初市」に当たるのかも知れない。
山間部で手作りしたものを街で売る、
例えば昔話の「笠地蔵」の世界のようなものだ。
驚いたのはいい大人が焼きそばや、
たこ焼きなどを歩道のベンチで食べていたこと。
個人的にはこのテキ屋さんが作ったものを、
よろこんで食べる気になれない。
途中「しもつかれコンテスト」会場を通り過ぎる。
非常に長い行列に、とても並ぶ気になれない。
この今市のメインストリートの中程にある
気取らない雰囲気の『中屋食堂』で、
小腹をなだめるためにおでんと日本酒熱燗1杯。
祭気分の町で、昼酒もいいものである。
本当はそばを食べたかったのであるけど、
年内に入ると「そばをたぐる」という店ではないのが明白だったのだ。
店の真横に駄菓子屋があって、若旦那らしい男性が、
声がかかるたびに対応している。
これがなんともいいのである。
ここで「さがんぼ(さがんぼう)」のことを聞く、
タクシーの運転手さん、直売所であった方に聞き、
だいたいの答えが出ていたのだが、だめ押しの形で問う。
おばあちゃんが厨房から出てきて、
「"さがんぼ"は正月に食べていた」こと。
「"さがんぼ"は煮ても柔らかくておいしいが
"もろ"は煮ると硬くなるのでうまくない」。
魚のことを調べていて、
これで種名がわからないと大失格。
"さがんぼ"はアブラツノザメ、
"もろ"はモウカザメ(ネズミザメ)に違いない。
考えてみると、広島県三次市でネズミザメは人気があり、
フカ(サメ)のなかでも高級だった。
これはサメを生で食べるからであって、
"煮て食べる"関東の山間部ではネズミザメは安いとなる。
平凡な味のおでんと、熱燗で暖まって、再び町歩き。
JR今市のあたりまで歩き、またとって返し、裏路地を歩く。
なかなかいい町なのである。
朝からまともなものを食べていないので、そば屋を探す。
通りから脇道にそれたところに「ちたけそば」の
札が下がる『つちや』という店に入る。
至って気取らない、普通の食堂ぜんとした店だ。
さて「ちたけそば」とは漢字で書くと「乳茸蕎麦」である。
「乳茸」はチチタケというキノコのこと。
茎や笠を傷つけると乳のような乳白色の液体が出てくる。
「ちちたけそば」の冷たいのをお願いして、
出てきたのがよかったのだ。
そばが冷たくほどほどに美味で、
つけ汁が温かいく鶏肉が入っている。
チチタケは小さくほかの具にまぎれてなかなか出てこないが、
しっかりキノコのうま味がして、独特の風味がある。
店の外観から期待しないで入ったら、
なかなかうまいそばでちょっと幸せな気分になる。
『つちや』の脇からメイン道路に平行に走る路地に入る。
路地のなかほどに神社があった。
「二宮神社」すなわち、二宮尊徳をまつる神社なのだ。
二宮尊徳は天明期に現小田原市に生まれた農政家、
というか農業経営のコンサルタントのようなものだろう。
ここが終焉の地だったわけだ。
残雪を踏みしめて神社奥に進み墓を見て、
また街にもどる。
ちなみに江戸時代後期は譜代や旗本では行政が立ちゆかなくなり、
勘定奉行の川路聖謨をはじめ門閥や家柄を超えた人々が
実社会を動かすように変わる。
議員世襲制が国内を支配している今よりもずーっと民主的である。
「しもつかれコンテスト」会場に行くと、行列が短くなっている。
並ぼうとしたら、もうダメだという。
まあコンテストなどはどうでもいいので、
会場前で「しもつかれ」と「柿餅」という棒杭のような餅を買う。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
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