郷里徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町字町)の古い履き物(靴店ではない)で、この言語を思い出させてくれたが現物は残っていなかった。
ネットで広告が買えたので見てみると、確かにこんな感じだ。浅草花川戸でたぶん卸されていて、全国に送られていたのかな、なんて考えるがどうだろう?
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/
滋賀県長浜みやげの続き。
ときどき言葉の誤用というか、ゆがみを感じることがある。
「安定供給」がそうだ。
この言葉は生活に欠かせないものにだけ使われるべきだ。
食料でいえば空気、水、糖質、油分などだろうか、
広げて見るに魚貝類では人が生きていくに最低限必要なもの。
総漁獲量に対して。
マイワシとか種に対してではなく、多獲される回遊性の
「背の青い魚」などの総量的なものに対してだけ。
以下は絶対に使ってはいけない魚貝類。
1 エビ 2 マグロ 3 ウナギ 4 養殖魚
特にこの4点はすさまじい自然破壊を起こしている。
エネルギーを無駄に消費している。
養殖(貝、海藻などをのぞく)を完全否定しているわけではないが、
この4点に対して「安定供給」という言語を使うヤカラは愚か者である。
はっきり言おう、上の4点に「安定供給」なんて使う人間は下劣で薄汚い。
こんなもの必需品でもなんでもない。
末永く高級品であって欲しいものたちだ。
食べ物が
「高級だったり、安かったりすることも和食(食)文化」
なのである。
さて、和食が世界文化遺産になったことを
前振りにしたいと思っていたら長くなりすぎてしまった。
和食は不安定供給が作り出したものなのだ、
ということを書きたかったのに、くどくなりすぎた。
閑話休題。
滋賀県琵琶湖周辺では乾物や塩蔵品、
焼き(産地で焼く、まとめて買ったときに焼く)などをよく見かける。
例えば身欠きニシンや棒鱈、焼鯖など「保存食」だ。
身欠きニシン、焼鯖はスーパーなどにたくさん並んでいたが、
意外なことに棒鱈を見ていない。
滋賀に「棒鱈を煮る文化」はないのか、
と思っていたときに見つけたのがこれ。
「棒だら煮風」とは「煮つけ」とは違い薄い煮汁を作っておいて、
煮詰まったら足しながら煮ることなのだ、と思う。
それを生のタラ(関東でも見かける小振りのマダラ)にも
応用したのがこれではないか?
「煮つけ」よりも素朴で鋭角的なしょうゆの味(角)を感じさせない。
優しい味である。
おいしい!
「旅みやげ長浜編」というと誰のみやげだ、となりそうだが、
要するに自分のための自分だけの「おみやげ」の紹介なのである。
あしからず。
さて、ボクが心底好きなのが、豆・あんこ・柿なのだ。
決して魚貝類ではない。
「それでは魚貝類研究家」としては失格だろう、
と思うヤカラがいそうだが、真逆である。
生まれたときからの魚貝類好きには、
魚貝類を調べる能力が存在しないのだ。
まったく無能なのである。
閑話休題。
さて滋賀県長浜市長浜でもっとも好きな「あんこもの」が親玉饅頭である。
薄皮饅頭ほど「あんこ」そのものを感じさせてくれるものはない。
薄皮饅頭は理想の和菓子なのである。
ということで親玉本店の親玉饅頭が大好きなのだ。
「甘さ」の点でボクの理想ではないが、
一茶十二親玉饅頭くらいはいける味である。