昨日は燗酒を飲みたくなって昼前に酒屋へ向かう。空は鈍色で寒さに震え上がって自転車をこいだ。行きにはまだ日差しが見られたのに、ほんの数分後の一升瓶を抱えての帰り道、公園のケヤキの枝越しにひとひらの雪が舞い降りてきたのだ。
「雪かな」
脇を走る子供に声を掛ける。
「来るときにも降っていたでしょ」
子供はそう言って裸のモクレンの大木を回る。
またすーっと雪が落ちてくる。落ちてくるが、これは雪が降っているというのには儚すぎる。地に落ちると跡形もないのだ。
昨日、秋田のなべ婦人から雪に埋もれた街の画像つきで便りが来た。そして今日のメールには、「昔、電線をまたいで歩いたこと(事実です)を思い出しました」とあるではないか。郷里は四国でもやや山の中なので年に数度の積雪をみる。確か小学生のときに記録的な大雪があった。その日、父と亡き兄と三人で対岸の親戚まで歩いた思い出がある。ときに腰くらいまで雪が積もっていて、親戚に行き着いたときにはヘトヘトで倒れ込んでしまったのだ。小学生の腰というとせいぜい50センチほど。電線を超えるというと何メートルになるのだろう。今年の新潟県糸魚川への旅で初めてゆっくりと雁木の下を歩いた。そして来年は雪の中、雁木を歩こうと思っていたのだ。それなのにニュースで聞く日本海側の大雪。また、なべ婦人の画像に、恐怖感を覚えてしまっている。現代の日本で遭難することもあるまいに気の弱い我が愚かしい。
今年は四国でも九州でも雪を見ている。しかも郷里からの便りにはかなり積もったとあるではないか。それなのに東京、しかも多摩地区だけに雪が降らない。今頃雪国の人たちはいかにあるのか、「雪が降って欲しい」と子供達が話しているのを聞いて遠く思いやる。
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