愛知県というのはまことに食文化の多彩な土地柄である。でもこの愛知という県を一括りにすることは不可能なのだ。ここで詳しく説明することは避けるが戦国時代を鑑みても徳川家康の三河地方(愛知県東部)と、織田信長の尾張地方(愛知県西部)はまったく別の国だったのだ。
その16世紀前期に生まれ、後期に非業の死を遂げる織田信長や豊臣秀吉がなぜ様々な産業・行政・政治的に画期的革命を起こせたのか? その答えは簡単な県別の地図で愛知尾張地方をみるだけでわかってくる。
例えばあれほど名を馳せた武田信玄をして閉鎖的土地柄である所以日本的な中世を脱却できずに滅び、方やまだ小大名の時期から近世の萌芽を見せた尾張人。この近世の扉を開いた原動力が河川を中心とした商業取引だっただろう。
江戸時代、明治時、大正、昭和までも流通を支えてきたのは水運である。水運の発達した地域に商業が栄え、その合理性を追求する考え方を育てたのが木曾三川であるのだ。当然水豊かな地(水郷地帯)だから生み出す産物も膨大だろう。
織田信長、豊臣秀吉、蜂須賀小六、加藤清正など尾張の武士は、常に河川での流通の場所にいた。
そこで彼らが食べていたのが、当然の如く多彩な淡水からの食物であるのは間違いない。コイ、フナ、ウナギ、ナマズ、サツキマスに多彩な雑魚、エビ。なかでも上等な、またハレの食材と言えばコイとフナだろう。
尾張地方でフナを使った代表的な料理が「ふなみそ(鮒味噌)」なのだ。今でこそ尾張地方ではスーパーにも並ぶ惣菜のひとつだが、さぞや古くはご馳走であったろう。
材料はギンブナ(まぶな)だろうか? まずは鍋に大豆と水、内臓を取り除き素焼きしたフナをいれてことこと煮込む。そこに砂糖、尾張独特の大豆麹大豆味噌、いわゆる豆味噌で味つけする。それこそ骨まで軟らかく、大豆、味噌と溶け込むかのように煮込んだフナであるからこそ、日持ちもするし、また深みのある味わいは魅力的だ。
これは蛇足だが、当地ではたまり醤油でフナを煮るという料理もある。ただし味噌と比べると「たまりしょうゆ」自体が新しい。
ここに淡水魚とともに登場してくるのが、愛知県独特の大豆麹大豆味噌。この歴史は意外に新しく、例えば戦国時代に水分が少なく携帯に便利だからということで発明された。また逆に大豆麹大豆味噌の歴史は非常に古いという説もある。
この味噌にもいろいろ作る地方での名前があり、三州味噌は三河地方、八丁味噌は岡崎周辺、名古屋味噌、尾張味噌は濃尾平野の南部にあたる尾張地方。作り方のおおまかなところは同じでも、きっと各地で少しずつ違っているのだろう。でもここでははぶく。すなわち尾張水郷地帯の淡水魚を尾張の味噌で炊くという食文化が結集しているのが「ふなみそ」なのだ。
今回のものは尾張生まれの、うなたろう君がくれたもの。パッケージからすると津島市の川魚店「魚光」のもの。発泡のトレイからだすと真っ黒で不気味な物体にしか見えない。でもよく見ると大粒の大豆があり、真っ黒な味噌の煮汁とあいまって魚の形をしている。この中心にあるのがフナ一匹なのだ。
皿に盛り直して軽く電子レンジであたためる。そしてフナの身と味噌、大豆をかき取るように食べる。
フナの身と骨、味噌の地は渾然とひとつになっている。ここにあるのは豆味噌の持つ香り、渋みとフナからでた旨味。中に存在する骨もサラザラと舌の上で適度に崩れていく。
見た目に反して塩分はとても低く感じられ、たくさん食べても口中が塩辛くならない。フナにはまだ川魚の香りが残っていて、これがまたボクには好ましいものだ。
また頭部を崩すと食道、胃袋のようなものが出てくることがあって、この食感がボクの楽しみのひとつ。
このような全体の味わいに軟らかさというか、まことに心優しい存在となっているのがふっくらと旨味を吸い、味噌味となっている大豆である。うなたろう君によると大豆を使わない「ふなみそ」もあるという。でもボクは画竜点睛を欠くという気がする。
この「ふなみそ」はご飯のおかずにも酒の肴にもなるが、面白いのはお茶にも合う。すなわち動物質のものなのにお茶の子(お茶菓子)に好適である。
そう言えば、ボクの勝手な思い込みかも知れないが寒くなってくると「ふなみそ」が食べたくなる。古くからあるものなのだから俳句の冬の季語となっていないだろうか? これは調べてみなくては。
うなたろうの部屋
http://www.geocities.jp/morokounataro/2top
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑、ギンブナへ
http://www.zukan-bouz.com/koimoku/koi/ginfuna.html
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