いろいろ手に付かず、やる気も失せて、ぼんやりした日々を過ごしている。それでも食うために仕事はしないわけにはゆかぬのが大人の悲しいところ。慌ただしく事務的な時間をやり過ごし、薄曇りの神田神保町古本街に出る。懐具合が寂しくて古本屋を流して歩くわけにもいかないし、なすすべもなく帰途について地下鉄神保町駅で160円の切符を買う。大手町で乗り替えて東京駅、始発の中央線で帰宅するつもりが、宮城谷昌光『香乱記』から視線を上げると大手町を過ぎてしまっている。そのまま隅田川の下へもぐり込んで清澄白河駅。地上に出ると清澄橋通り(これは後からわかったこと)。広くまっすぐな通りにぽんと投げ飛ばされて、はっきり言って初っぱなから迷子になってしまっている。
大通りで見つけた製餡所
とにかくこの無機質な通りを歩く。歩いている内に「赤札堂」を右に見て、行く先には橋らしきものが見える。ここで地図を見つけて、どうも小名木川(これは江戸時代に造った運河なのだ)を超える橋であるようだ。すると北に歩いているわけで、橋を渡ると「高橋商店街」が右手にある。ここは前回歩いているので、道をもどる。
通りをもどり右に「江戸深川資料館」の文字。その通りを歩いて右手に「椎茸入りあさり佃煮 魚保」という暖簾を見つける。あさりの佃煮でも買ってみようかと店内をのぞくが無人。そのまま通りを東に「三好一丁目7」という和数字とローマ数字まぜこぜのプレートを見つける。これは「丁目」は和数字で、「番地」はローマ数字で。という取り決めがあったのだろうか?
そして左に「浄土宗 霊巖寺」、右に「出世不動」。「出世」とはあまりに無縁ゆえに、お詣りでもしようかと思ったがどうせ手遅れなのでやめる。また霊巖(島)という地名があったように記憶するが、ここの元の地名も調べると面白そうだ。
この通り、左右に続く商店のほとんどが締まっている。これは定休日なのだろうか? それとも時代の流れに付いていけずに閉店してしまったのだろうか? ふと脇道の奥に魚屋を見つけて「酢鰺10枚500円」を買う。タイル張りの店内を見るにかなり古そうな店舗である。かたわらで警戒している黒猫を撮影して商店街にもどる。
「深川江戸資料館」は5時過ぎで閉館している。これでは仕事帰りにちょいと立ち寄るわけにも行かない。役所が運営していると利用者の利便をぜんぜん考えなくなるのはどうしてだろう。小さな豆腐屋、クリーニング店の建物は戦後すぐのものではないか? そして惣菜屋。広い通りに出て左に曲がるといったいどこを歩いているのかさっぱりわからなくなる。
曲がって曲がって空きっ腹で見つけたのが「ことぶき本店」。外見のいかにも古めいて、また白く晒された暖簾に味がある。その暖簾に「洋食と中華」とある。この「洋食と中華」の形態は下町を歩いているとよく見かけるもの。これなど大衆食堂の一形態として何時の時代に出来上がったものだろう。大衆食堂の始まりは大正時代に開業した「須田町食堂」なのである。そこで出されたものは洋食、中華混合のメニューであるとしたら、この「ことぶき本店」も由緒正しい大衆食堂の生き残りともいえそうだ。ここでチキンカツライス700円で夕食。
また深川江戸資料館の通りにもどり、来るときには気が付かなかった凄まじく時代錯誤的な呉服店を発見。
また北に続く路地に「中通り会」のネオンがともる。そのまま北にすすむと右に天ぷらの持ち帰りの店、大繁盛の肉屋、左に魚屋、八百屋と続く。夕ご飯を食べたばかりなのに急にコロッケが食べたくなって肉屋の人だかりにとりつこうとするが、あえなく敗退。
とぼとぼと迷いに迷って半蔵門線清澄白河に下りて無駄歩きは終了する。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
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