魚貝類を探す旅: 2007年5月アーカイブ

霞ヶ浦への旅04

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 おふたりに霞ヶ浦の魚貝類、漁のことを聞いていく。
 まずは今日の漁の話から。
 霞ヶ浦よりの松田さんの張り網もやはり不漁であったという。
「小野川と霞ヶ浦ではとれる魚が違いますか?
 松田さんは少し考えて
「違うちゅうか、小野川の方が数が入るだな」

 お二人に聞くと、やはり困っているのはオオタナゴとアメリカナマズが増えたこと。それに反してフナが減ってしまったのだという。

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水揚げして選別したもの。半分以上がオオタナゴ。モツゴやアユ、ワカサギは売るほどはない

「それとねこの護岸がだめだべ。できたらもっと斜めに作って欲しかっただな。そうすっと葦とか木とか草が生えるだろ」
 確かに、この垂直に切り立ったような護岸では植物が進出できない。また護岸に沿ってゴミがたまる。とうぜんそれが腐敗して水中の酸素を消費してしまうのだ。国は3年前のコイヘルペス、イケチョウガイなどの死滅をどう考えているのだろう。その結論が霞ヶ浦の汚染した排水を利根川に流し込むというものらしい。でもただでさえ河口堰によって壊滅的な被害を受けた利根川の最後の息の根を止めることにならないだろうか? とにかく今、霞ヶ浦をキレイにするなら、この護岸を生物に優しいものに変えるべきだ。また我々都民はこの霞ヶ浦の水を消費しているという責任をしっかり認識すべきである。すなわちこの国の人々は今、自然に優しい暮らしに移行する必要がある。

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 また河口堰の運用でももっと長い時間開けておくことは出来ないのだろうか? ヌマチチブが減っているのは明らかに河口堰との関連だろう。また今年は「はね(スズキの稚魚)」が多いという。これはどうしてだろう?

 桜川村古渡での漁は春夏秋冬、常に何かしらとれるのだという。なかでも漁の中心はワカサギとウナギ。他にはエビ類がくる。

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まだウナギの水揚げは少ない。そのため、ある程度ためてから出荷する

「今年は稚魚(ワカサギ)が多いべから、冬はいいだろう」
「そうさね。それと雷魚(カムルチー)が増えてきたね」
 カムルチーは何と言っても洗いが最高だという。
「洗い以外でもバター焼きだって、煮つけたってなんでもうまいもんだべ」
 と太い眉毛を動かしながら松田さんが語る。寄生虫の心配があるでしょう? と聞くと諸岡さん、
「そんなの大丈夫。ワシさ、もう40年以上食べてるだね。でもここまでいっぺんも当たったことない」
「そうだな、あれは病気なんかで弱った人だけがやられるんだ」
注/カムルチーは有棘顎口虫の宿主であり、生食は危険である。有棘顎口虫は体内にはいると腸壁を破り肝臓などに移行、また体内を移動する。このとき皮膚が腫れたり、かゆみを感じたりする。またときに脊椎、脳などに入ることもあり死の危険性がある

「フナはどのように調理して食べてます?」
「この辺りじゃ、だいたい煮つけだね」
「洗いなんかにはしないんですか」
「まあ普通はしないな。洗いはコイはするな」
 松田さんも諸岡さんも刺身、洗いはコイではするがフナは煮つけ専門だという。
「諸岡さん、『ごろ(ウキゴリ、ヌマチチブ、アシシロハゼなどの総称)』でも佃煮になるのとならないのとあるって言いましたよね」
「そうだ。ウキゴリは鱗がないだ。すっと味が入っていかない。だから『たっとう煮』っていうのにするだな」
 佃煮は甘辛い味で魚の身に味が染みこむくらいに煮つけてしまうのに対して『たっとう煮』はほんの短い時間、醤油で煮る。
「さっと煮るから、たっとう煮っていうだよ」
 6月になると水揚げはエビ類が中心となる。
「エビはね。潰して汁にするし、佃煮にもすっね。後は唐揚げとか、ただみそ汁にいれたりもするし」
 諸岡の奥さんが教えてくれる。奥さんは、席を外して奥に消えてしまう。
「エビはね。昔は“ささびたし(ササなどを束ねて沈めておき、そこに集まったエビなどをすくう)”や“たる(カゴ)”でとっただ。でも“たる”を作る人がいなくなったね」
 諸岡さんも松田さんも昔は様々な漁をやってきているのだ。
「貝のことはどうでしょう。『たんかい』は食べました」
『たんかい』は「淡貝」のこと。主にカラスガイをさすようだ。
「“たんかい”はよく食べたよ。この辺りじゃ、切り干し大根と煮るだ」
 諸岡さんによると昔はたくさんとれていたという。
「そう言えば堰が出来る前のシジミは黒くてね。それが最近じゃ色が違うだね」
 色の黒いシジミは汽水域にいるヤマトシジミ、そして色合いの薄いのはマシジミであるらしい。

 話し込んでいると奥さんが『ごろの佃煮』『エビの佃煮』『シラウオの釜揚げ』を持ってきてくれる。

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「シラウオはこれがいちばんうまいべ。釜揚げって言うんだけど、塩ゆでだ。いちばんうまいのは茹でたてだ」
 佃煮は思ったよりあっさりした味付けとなっている。これがお茶に合うのである。またシラウオは塩味がやや強く、
「ご飯があったら最高ですね」
 これはつい口をついて出たことなのだが。

参考文献/『平成調査 新・霞ヶ浦の魚たち』霞ヶ浦市民協会
注文は電話かファックスで
電話 029-821-0552  ファックス 029-821-6209


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霞ヶ浦への旅03

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 魚の選別を終えて、釣り宿・川岸屋の土間でお茶を飲む。
 長閑な5月の朝であり、気温はすでに20度を超えていそうだ。ポカポカと暖かく眠くなってくる。
 土間には大きなヘラブナ、ギンブナの魚拓があり、またブラックバス釣りの写真が飾っている。
「ウチは釣り宿だけん」
 川岸屋は本来ヘラブナ釣りの貸し船、釣り宿であった。それがブラックバスに変わり、現在ではそのブラックバスもフナとともに激減。「まあ釣り宿もオレの代で終わりだな」という状況だという。
「それにね。昔はフナだって、コイだって、『はや(モツゴなど)』だってとれたらとれただけ売れた。それで稼げただよね。それが海の魚がここら辺にも入ってきてからだ。あんまし魚も売れなくなった」
「昔は川魚問屋が強かった、魚を買いたたいたりしたって聞きますね」
「そうだね。昔は問屋が大きかったな。今でもあるだよ、まだ問屋は」

 そこに諸岡さんと同じく張り網を霞ヶ浦にもっている松田さんがやってきた来た。どうも漁の後の恒例のことらしい。諸岡さん、松田さんともに73歳。諸岡さんは漁と釣り宿を経営、田を持っているが貸しているのだという。松田さんは農業との兼業。戦前を知る世代であり、また戦前戦後の霞ヶ浦の変遷では生き証人とも言えそうな人たちである。

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 この霞ヶ浦一帯は戦前には土浦海軍航空隊、鹿島航空隊があり、湖には水上飛行機が浮かんでいたという。
「オレは、ときどきのせてもらってたんだ。水上飛行機だべ。近づいていくと乗せてくれっから」
 松田さんは懐かしそうに語る。
「予科練ですね」
「違うだー。鹿島の方。鹿島と予科練は違うだね」
 朝方、古渡あたりの市街地をクルマで回った話をする。
「あんだ。昔、この辺は蔵が並んでただね。大きいヤツが、今は1つだけ残ってるだが。そのころは“かわはぎ”って地名だったね。でも“かわはぎ”って追いはぎみたいで名前が悪いって変えたけんね」
 霞ヶ浦は陸上交通の発達する以前には海上交通が盛んであった。とくに東京(江戸)と利根川、江戸川、隅田川と淡水域で繋がっていて、当時は高瀬舟の立ち寄る港はまことに賑やかであった。そして霞ヶ浦にも港がいくつもあり、旅館も料亭も遊郭もあった。そしてこのあたりは産物の集積場であったということなのだ。


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霞ヶ浦への旅02

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 小野川河畔にある川岸屋の前でほんの30分ほど仮眠する。6時過ぎとなって軽トラックのドアの開く音がして、そこに立っていたのが小柄でがっしりした諸岡清志さんであった。挨拶もそこそこに船着き場にトラックを走らせる。川岸屋から川まではほんの数メートルの距離しかない。川魚を入れるためのカゴやバケツを船にのせて張り網(定置網)までゆっくりと川を登る。

 小野川といっても河口部は霞ヶ浦にとっての湾となっていてる。湖では当然のこと、このような川の流れ込みや、湾となっているところが魚が集まる場所でもあるわけだ。
 低いエンジン音、ゆっくりと船は川面を滑っていく。最初の張り網(定置網)はやはり新古渡橋のすぐ上手であった。顔を上げると国道125号をトラックが疾走していて、ここだけ時代から取り残されているように思える。

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 船をもやいエンジンを切ると、岸辺から鳥の鳴く声が聞こえてくる。諸岡さんが網の先端を持ち上げると黒い魚が暴れて、水しぶきが上がる。途端に淡水特有の有機質が腐食していくときに醸される生臭いような臭いが立つ。川面は無風状態であり、ときどきキラッと魚がはねるだけで、川なのに流れがないように感じられる。

「今日は少ないずら」
 最初の網を引き上げながら、諸岡さんが呟く。それでも網からは大量の魚がこぼれ落ちてくる。
「すごいタナゴですね。オオタナゴでしょうか?」
「そうだ。全部オオタナゴ。今日は少ない方だ」

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 オオタナゴ、アユ、モツゴ、タモロコ、ニゴイ、ハス、ブルーギル、そしてアメリカナマズ。タナゴ亜科ではオオタナゴだけで、タナゴはもとより、たくさんいたというタイリクバラタナゴすら一匹もいない。またスジエビ、テナガエビは少ない。
「エビがとれるのは6月になってからだ」
 今は脱皮したばかりでエビはもっとも少ない時期だという。

 張り網は川に対して直角に立て網が伸びていて、その先端に魚を集める傘の部分がつき、その三隅に袋状の網が3つついている。この袋状の細長い網にはいくつかの返し網がついていて魚が入ると後戻りできない構造になっているのだ。

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「今はねちょうど漁の端境期だね。少ないずら」
 3つの袋状の網を揚げても、獲物はいくらでもない。それにしてもオオタナゴは多く、本来お金になる「はや(モツゴ、タモロコ、スゴモロコ)」はほとんどとれない。
 諸岡さんがバケツに水を汲み、ヌマチチブを見つけては放り込んでいる。
「これは真珠貝の産卵に使うんだ」
 これは活かしておくと淡水真珠の養殖業者が買い取りに来る。後からわかったことだが淡水真珠をとるイケチョウガイは幼生期に魚に寄生する。イケチョウガイの稚貝を生産するときも、生活環を経なければならないわけで、それにもっとも適したのがヌマチチブなのだという。

 次の網には1メートルを超えるハクレンが入っている。そのせいか他の獲物が少ない。またここでウナギと雷魚(カムルチー)がはいる。
「こいつ(ハクレン)の腹側の身はクセがなくてうまいだべ」
 網についているゴミを落としながら
「これワカサギの稚魚だ」
 2センチ足らずの稚魚が網にひらひら突き刺さっている。今年は例年になくワカサギの稚魚が多いのだという。
 ヘラブナ(ゲンゴロウブナ)、真ブナ(ギンブナ)、キンブナ、オイカワ、スズキの稚魚にボラの稚魚、「ごろ(アシシロハゼ、ヌマチチブ、ウキゴリ)。それにしても本日の水揚げは少なく、まったくなにも入っていない網もある。
「穏やかな日はだいたい漁が少ないべ」
 漁はほんの30分ほどで終わりとなる。
「これじゃ小売(行商)もこねだ」
 水揚げされた魚はときに川魚問屋にも売るが、ほとんどは小売(行商)に卸す。
 まだまだ霞ヶ浦あたりでは自宅で川魚の佃煮を作る。また、エビのみそ汁、汁(エビを潰して作る)、小アユの唐揚げ、「たっとう煮」という軽く醤油で煮つける料理も作られているようだ。

 最初は口の重かった諸岡さんも漁の話など徐々に話してくれるようになった。船を船着き場につけて、生け簀から大きなギンブナをすくい出す。

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「ほうら、これ見っべ。真ブナのオスだ。ほとんど見たことなかっただが、ここ3日くらいで2匹もとれただ」
 諸岡さんがギンブナを抱えると、白い液体が流れ出してくる。これは紛れもなくギンブナのオスである。鰓ぶたの上には追い星が出ている。

 獲物を自宅に持ち帰り、水場で選別にかかる。オオタナゴ、ブルーギル、アメリカナマズは廃棄。鳥の餌用にミール工場行きとなる。モツゴ、タモロコ、アユ、エビ類は小売り(行商)へ本来は売るのだが、「今日は少ないから来ないだろう」という。ウナギとカムルチーは生け簀に入れて「買いに来る人のあるまでおいておく」のだという。

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「6月はエビだし、9月には毎日何十キロもウナギがとれるだけんど、今は少ないだね」
「アメリカナマズは食べないんですか」
 かたわらで魚の選別をしている奥さんが
「橋の向こうに、これを出してる店があっけど、この辺じゃまったく食わねえな。食べてみっとおいしいけどね」
 食べると決してまずい魚じゃないというが、なかなか食べようと言う気にならないのだとか。
 8時過ぎにフィッシュミール会社のトラックがくる。そこにブルーギル、アメリカナマズなどを無造作に放り込まれ、「鳥の餌になんだ」とうのこと。
 トラックはもの凄い匂いをさせて去っていった。

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霞ヶ浦への旅01

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 深夜2時過ぎに自宅を出る。中央首都高と渋滞はなく、当然、常磐道が混むことは皆無であって、あっという間に桜土浦まで来てしまう。そこからは国道125号をひたすら南に下る。暗く寂しい国道沿い、ときどきコンビニの灯りがあるほかは、なにも見えない。
 午前4時、クルマの左手から夜が明けてくる。阿見町、稲敷市江戸崎、美浦村、そして小野川を超えると稲敷市桜川村古渡となる。

 小野川は霞ヶ浦の西側、入り江を作り、平野部を流れ、つくば市に源流がある。(*霞ヶ浦の湖の形を説明すると、漫画「まことちゃん」のグワシというのをご存じだろうか? 中指と薬指を折り曲げる。これを左手でやっていただき、手のひら側を自分の方に向けてもらいたい。これがちょうど霞ヶ浦の形そのものだ。この親指の部分が小野川河口である。
 小野川の北側が稲敷市美浦村、南側が胴桜川村古渡にあたる。その昔には「かわはぎ」という地名であった桜川村、そこには大きな蔵がたち、水運が流通の主役であった頃には高瀬舟の荷の集積地であったという。
 小野川河口にかかる新古渡橋を渡り、川の土手道にクルマを止める。まだ日の昇らない薄明の頃、目の前には田植えを終えたばかりの田園が広がる。その田の畦をキジのオスがけたたましく失踪する。ボッ、ウ…ボッ、ウ…と鳴くのはウシガエルだし、ウグイス、センダイムシクイ? ぴーーぴーーと鳴く鳥。田の周り、土手には白いクローバー、真綿のようなフワフワした花を咲かせたイネ科の植物が続く。

 小野川土手を上手に歩いてみる。川には無数の竹が立っている。そこに霞ヶ浦で網代というのだろうか定置網がある。これは岸から見ると細長い柄の傘を広げたような形。傘の頂点、両翼に魚をためる地獄網がついている。その上流には淡水真珠の養殖場。

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 小野川から桜川村古渡の市街地を抜けて霞ヶ浦にクルマを走らせる。古渡の街並みは小さく、商店街と言っていいのかどうか? そこには魚屋、食料品店、和菓子屋などがある。
 岸辺の砂利道を小野川河口からぐるっと霞ヶ浦を南にクルマで回っていく。朝日は湖の上にある。こちらにも定置網があり、遠く大きな船が沖合に移動している。岸辺にはニセアカシアが満開である。

 ちょうど5時となって古渡にある川岸屋の前に到着する。この釣り船屋を経営する諸岡清志さんの定置網漁に同行させていただき、霞ヶ浦の魚貝類の一端に触れるのが今回の旅の目的である。

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