島根県出雲地区に「あご野焼」という“蒲鉾”がある。
外見は焦げ茶色の巨大なちくわ状だから、「ちくわじゃないか?」という素朴な疑問がわき上がるが、実は本来の蒲鉾の形は、現在のちくわ状なのである。“蒲鉾”とは魚のすり身を木竹などに、まるで湿地に生息する蒲(ガマ)の穂のように巻き付けて焼いたもの。だから現在のちくわが本来の蒲鉾の形であって、板についた蒲鉾は比較的新しい形なのである。
魚をすり身にして、その辺にある木などに巻き付け、しかも野にあってたき火などにかざして豪快に焼き上げる、この原始さながらの蒲鉾を作るのは。島根県出雲地方のみ。
材料は初夏から島根半島に押し寄せてくるトビウオ。主にホソトビウオで、ときにツクシトビウオが混ざる。
島根の知るべが「あご野焼きのほんまもんを食べてみませんか?」と誘ってくれた。よそ者には、あまたある「あごの焼」に本物と、偽物があるなんて思いもしない。しかも我が家では島根県の親戚にいただく三大いやなお土産というのがあり、その第一が「あごの焼」なのだ。あえてここで書いておくが、個人的には「あごの焼」が好きとは言い兼ねる。「嫌いだ」と明言してもいい。
こんな思いで臨んだ青山蒲鉾店の「野焼見学」、目の前におかれた巨大な丸太ん棒のような野焼きを、手でムギュっとむしり取り、口に頬張るや、そのあまりの美味にヘナヘナと腰のくだけるような衝撃を受けて、突然「野焼ファン」と変貌したのだ。
直径10センチ以上、長さは70センチくらいある。その焼きたての熱いのを我慢して、一端をつかみ、抵抗するのもかまわず千切りとる。その野焼が繊維質に千切れる。この繊維質を見ているうちにフランスパンに似ているな、と思い至。実際、魚のうまみと風味のある、ずば抜けて見事に焼き上がった「野焼」が本当に焼きたてのフランスパンを食べているよう、不思議だ。「これが蒲鉾といっていいものやら」、非常に疑わしく思えてくる。
この美味なる対象物に、ボクは明らかに理性を失ってしまい、千切っては食らい、千切っては食らい、まるで原始に生きる野生人と化してしまうのだ。
いかん、『青山蒲鉾店』の、野焼のことを書くはずが、いかにうまいか、だけで終わってしまいそうだ。
閑話休題。
江戸時代より続く『青山蒲鉾店』はもっとも頑固に古来よりの製法を守っている。当日焼く分だけの魚(トビウオ)を下し、すり身にして、これまた出雲が誇る地伝酒で風味付けする。これをステンレスのポールに巻き付けて、炭火であぶり焼くのだ。
この炭火で数本ずつ焼き上げるのが至難の業なのだと言う。当日は弱火で全体を焼き上げ、最後に強火で焦げ目をつけていく。ただ焼き上げるだけでは、すり身がはぜてしまうので、針のついた大きな刷毛のようなもので、何度も、何度もパンパンとたたいて、蒲鉾の中の気泡を抜いている。
「野焼蒲鉾」はすり身作りも焼き上げるのも、熟練の技が必要なのだ。
さて、たった一人で「野焼」3分の一ほども食らってしまったようだ。重さにしてどれほどだろう。「野焼」で腹がくちくなるほどなのに、まだ食い足らない。それほどにこの「野焼き」の味は上品でしかも深みがある。
最後の一切れが掌にある。そっと真二つに割るとやはりきめ細やかな繊維が見える。やはり「野焼」はフランスパンのようで、しかも魚の芳醇な旨味に満ちている。
ここで念のために書いておくが、冷えた「野焼」には、また別種のうまさがある。実はじっくり考えるに、冷えてからの方が魚の旨味を真に味わえる、ようなのだ。
青山蒲鉾店の「野焼」は大量に作っているものではない。家内工業的に作れる分のみ作っているわけで、今度また松江に行く機会があれば、絶対にもう一度あの口福感を感じてやるのだと思う。
青山蒲鉾店 島根県松江市中原町88
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑、ホソトビウオへ
http://www.zukan-bouz.com/fish/tobiuo/hosotobiuo.html
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