中央卸売市場は8時を過ぎると急速に店仕舞い、片づけを始める店が目につく。やや落ち着いてきた仲卸を見ながら歩いていると、「駐車場の東京ナンバー………」という声が聞こえてきて、大急ぎでクルマに走る。そこにはボクのクルマだけがポツンと一台。とにかく市場を脱出。国道2号線を西に走る。目指すは笠岡市である。
きんのり丸さんが、当地で海苔養殖を営みながら自然保護運動にもとりくんでいる妹尾さんに連絡をとる。ここで問題になってくるのが、千葉弁と笠岡弁(岡山弁)の意志疎通がうまくいかないということ。どうやらケータイの向こうでは妹尾さんが「早く来い。国道を走るんじゃなくて、とにかく高速に乗れ」といっているらしい。カーナビでいちばん近い「玉島」というインターを見つけて山陽道にのる。
高速にのるとすぐに笠岡、そして海に南下していく。途中通り過ぎた山陽本線笠岡駅周辺が魅力的に思えた。駅近くのラーメン屋さん、道行く高校生、もしものんびりした旅が出来るなら、駅周辺を一回り歩いてみたい。面白いだろうな。
国道らしき大きな道を走る。銀行の建物もあり、そこを自転車で行くお姉さんが美しい。そう言えばボクの旅に欠けるのが、恋とかロマンスなのである。この3人で、恋だの愛だのに恵まれているのは、きんのり丸さんだけだ。ボクなどまさに砂漠を延々歩いているような人生でしかない。ヒモマキバイさんもそうだ。今まさに不幸のどん底ではないか? 「不幸」この文字を浮かべて、じっくり、じっくり、ねっとりと考えていくとヒモマキバイさんにはどん底という波があるわけで、浮かぶ瀬もある。そこへ行くとボクなどずーっと直線的に不幸だ。この岡山の田舎町を走りながら涙がこぼれてくる、悲しいなー。
ナビゲーター役はヒモマキバイさん。でもここでこの方の特異な位置の認識癖を見せつけられることとなる。ボクの場合、カーナビは進行方向が上になるように見る。ところが北が上になるように変えてしまうのだ。しかも道を曲がるときも右左ではなく西とか東と指示。時々上だ下だなんて、スーパージェッターの流星号でも出来そうにないことを言うので交通事故を起こしそうで怖いのだ。すなわちヒモマキバイさんの頭の中には常に北が認識され、目の前に見えてくる街並みや野山にも東西南北のグリットがかかっているのだという。この人、あの海に近くない方のT大学を出ていると言うが、やっぱりある意味天才か? でも西東、北南と言われても凡人にはついていけない。
美しい笠岡湾が見えてきて、『カブトガニ博物館』への標識。神島大橋を渡るとき、きんのり丸さんから「おおー」という声。渡ったところが妹尾さんとの待ち合わせ場所の湾を見渡せる喫茶店である。
このときまだ9時台であったはず。にもかかわらず、喫茶店の駐車場は満杯に近い。駐車するともう目の前は幅の狭い笠岡湾である。目の前をフェリーや貨物船らしきものが島を縫うように航跡を残して行く。
妹尾さんは、かなり待っていたようだ。まさかヒモマキバイさんの東西南北指示のせいだとも言えず、きんのり丸さんの「お久しぶりです」というので、喫茶店の湾が見える庭先のテーブルに座る。この庭先から見えるのはまさに美しい瀬戸内の湾。コーヒーを頂きながら、きんのり丸さんと妹尾さんの会話に参加する。妹尾さんは岡山でもっとも大きな海苔養殖業を営まれている。「海苔養殖をしていると海の変化に敏感になる」→「その変化を感じて、自然保護、また海との関わりを見直す」というのが、この妹尾さん、きんのり丸さんの海への共通項であるようだ。
妹尾さんの話では笠岡湾には大きな川の流れ込みがなく、ノリの肥料(栄養塩)は雨に大きく左右されているという。収穫期の雨はまさに天からの恵みとなる。
庭先にはたくさんの花が咲き、盛んにハキリバチ、ハナアブがくる。よく見ると2匹の大型のベッコウバチが雑草の中を見え隠れ。まさか「朝から楽しい交尾に励むのだろうか? いいなーー」。店の前の斜面には背の低い照葉樹と雑草。そこをカミキリらしき甲虫が飛び下っている。そいつを見ようと喫茶店の前をうろうろする。ふとみると細長い湾には小島があり、その汀まで木々が生い茂る。この真下にはどんな魚が、生き物がいるんだろう。
そしてその先には『カブトガニ博物館』のドームが半欠けで見える。これがまた最低の建物なのである。どうしてドーム型で銀色でなければダメなのだろうか? これでは美しい海峡に、空き缶が流れ着いたように見える。ボクはこの手の子供っぽい、10年もすると汚らしくなるような建築物が大嫌いだ。カブトガニは熱帯の生き物ではないだろう。建物を温室にする必要も、また閉鎖的な展示形態の建物にする必要もない。このような場所に建てるなら出来るだけオープンエアーな、一見、山陰の船小屋を思わせる建物がいいのである。そこではカブトガニも見えるし、勉強も出来る。できれば海辺に下りることができると最高だろう。地元のオバチャンの作る干物が焼かれていたり、近所の農家の野菜もある。とにかく誰が来ても、「そこでずーっいたくなるような空間」でなければダメ。研究する、飼育する場所を必要とするなら、そこだけ目立たないように無機質に作ればいい。このような海辺の施設は文部省が作っても国土交通省がつくっても、地元自治体が作ってもダメだ。「えへん」ボクのようなねっちこい楽しいことなら、なんでもアリという「天然人」でなければ作れるわけがない。「なぜこのような自然景観破壊的な無駄な味気ない建物を作るんだろう」と怒りが沸き立ってくる。ひょっとしてこれがいちばん格安で、経費のためなんだろうか? しかし恥ずかしい代物である、作ったヤツは恥を知れ。
笠岡は細長い湾が水島灘から数キロの渡って北に差し込んでいる。その風光明媚さは、日々の煩わしさを忘れさせてくれる。そしてこの喫茶店のなんと心地のいいことか。店内には地元の常連客が賑わしく、また楽しそうである。きんのり丸さんと妹尾さんの会話も弾んでいる。ヒモマキバイさんなど、ここで暮らしたいな、なんて思ってしまっているようだ。そしてボクだが、この美しい景色をじっくり、ゆっくり見ているのが嫌いなのだ。だいたいきれいな景色には、感動はするが、ボクの根元的なもの、欲求を満たすなにものも存在しない。ボクが好きなのは有機質で猥雑で、ゴチャゴチャしたところ。
ちょっとイライラして、妹尾さんに、「この辺りに魚屋とか、市場とかありませんでしょうか?」と聞いてみる。するとこの下に港があり、漁協の朝市をやっているという。こうなるとボクは高田馬場を目差す堀部安兵衛、もしくは大海でやっとメスに巡り会ったユウレイイカのようになってしまう。とにかく妹尾さんにお願いして朝市に連れて行ってもらう。
4人が腰を浮かせると、喫茶店のお姉さんが旗を持って、「もう少し待って連絡船が来るから、待ってー、待ってー」と言っている。「待てません!」。
この喫茶店の名物というのが「連絡船がくり、旗を振る、汽笛がなる」というものらしい。そんなことはボクにとってはまったく無価値なので、とにかくクルマで坂道を下る。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
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