3月11日
早朝、明石浦魚漁協同組合の宮部さん、県の山下さんが迎えに来て、明石浦漁協へ。
組合長・戎本さんじきじきの操船で明石海峡に出る。
晴天なれども波高しである。
海峡を所狭しとイカナゴを追う船、広大なノリ養殖の網。
春霞のなかの淡路島。
まさに絶景かな! なのだ。
この美しい海峡の景色を堪能するとともに、
明石浦魚漁協同組合に大いに感謝。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/
3月11日
早朝、明石浦魚漁協同組合の宮部さん、県の山下さんが迎えに来て、明石浦漁協へ。
組合長・戎本さんじきじきの操船で明石海峡に出る。
晴天なれども波高しである。
海峡を所狭しとイカナゴを追う船、広大なノリ養殖の網。
春霞のなかの淡路島。
まさに絶景かな! なのだ。
この美しい海峡の景色を堪能するとともに、
明石浦魚漁協同組合に大いに感謝。
3月10日
夕方に、宮部さん、県の方達と西明石に向かう。
明石駅と西明石駅の区間は長いが、ホテルから30分くらい。
その西明石駅すぐそばのたこ焼きのお店が
目的の「うまい店」なのだという。
外見上はどう見ても持ち帰りのたこ焼きの店で、
中でも食べられますなのか?
入るとテーブル席があり、店の半分をしめる厨房に
茶髪の似合うイケメンがいる。
実はこの方、「つるいち」さんが今回の最大の発見。
明石には料理名人は数あれど、この後の一品一品を味わう内に、
すごいぞ「つるいち」さんと思うのだ。
「つるいち」とは名前なのだろうか?
市内で鮮魚店「つる谷鮮魚店」をやっているのだろうか?
それで「つるいち」か。
いろいろ考えている内に、あまりのうまさに思考停止となる。
しょっぱなのイカナゴの卵とじ、クロダイなどの刺身盛り合わせ、
メイタガレイの煮つけに、アブラメの塩ゆで、
などなど総てが文字にできないうまさなのだ。
ちなみに画像は総てではない。
ふと「つるいち名人」と呼びたくなる。
すごい!
3月10日
お昼は組合の宮部さんに
漁協から歩いて数分のところにある
すし店『明石 浦正』に連れていっていただく。
店に入って右手にカウンター。
のれんをくぐると威勢のいい声が上がる。
雰囲気がいい。
奥の小座敷に座って出てきた1品目が奇抜。
なんと「ふるせのコンフィ」なのである。
これは、よほどふるせ(イカナゴの成魚)の
鮮度がよくなければできないだろう代物。
見事な味だ、白ワインが欲しくなる。
すしの味は名状しがたい。
明石海峡から淡路島にかけての「うまいもん」が大集合である。
すし飯は大阪風ではんなり型だが、これもまた旅情を感じていい。
追加した「穴子ずし」で、すっかりボクは『明石 浦正』ファンになる。
こんどはぜひ夜のカウンターでいただきたい。
明石に行くなら『明石 浦正』だろうね。
明石浦魚漁協同組合さん、『明石 浦正』さん、ごちそうさま。
3月10日
朝ご飯はホテルで。この「グリーンヒルホテル明石」の
朝ご飯はなかなかおいしい。
魚の棚などを見ながら10時過ぎに明石浦漁協へ。
ここで名物の競りを見る。
海に向かって立ち、右手に漁師さんがいる。
競りが始まると魚をベルトコンベアーにのせる。
魚は総て生きている。はねている。
若い競り人が台をタンタンと叩きながら、
仲卸の競り値を上げていく。
1つ当たりの競りは2〜3秒。
あっという間なのだけど、その競りに流れているカサゴが、
チヌがふっくらと太っている。
まだ早いがオコゼ(オニオコゼ)がうまそうだ。
重さの表示はなく、重さを聞く人は皆無。
競り場にいる人の年齢が他の産地に比べて若いのは、明石の実力とみた。
明石の魚が日本一の評価を得ているのは
海がよいからだけではなく、
漁の後の魚の扱いにあり、そう思うのである。
ああ、早くこの明石の魚が食いたい。
2014年3月9日
『たがねや』という菓子店で、店名にもある「たがね」を買う。
春日神社前のとらや饅頭で蛤の落雁を買う。
神社を抜けて寺町通りへ。
そこで店頭にしぐれを並べている店にフナを煮たものがあった。
同市内多度町産のフナをしぐれ煮にしたものであるようだ。
これが『貝新フーズ』。
ここで社長さんに「しぐれ」などのことをあれこれ。
この方、熱い熱い情熱に満ちた方だった。
『貝新フーズ』でフナのしぐれ煮、
同じ商店街「うなぎセンター」で大豆と煮たふなみそを買う。
ふなみその分布域が木曽三川河口域全域に広がっている、
その一端を見た。
この時点で5時をまわり、やや急ぎ足で駅に向かう。
近鉄大阪線で難波へ。
社内にて、桑名はもう一度来なければと思う。
途中の鶴橋で乗り換えて大阪駅、新快速で明石駅へ。
この行程がいちばん時間がかかるようだ。
2014年3月9日
その先の交差点に趣のある建物があり、和菓子店であった。
店名は『松花堂』。
薄暗い店内の、ガラス戸のなかに
ぽっかり浮かんでいたのが薯蕷饅頭。
ピンと、まんじゅう食いの勘が働く。
食わでいらりょうか。
思わず引き戸を開けて、店内に入ると
職人然としたご主人が白衣で立っていた。
不作法とは思いながら、薯蕷饅頭を選び、
なかで食べさせていただいたら、予想を遙かに超えるうまさだった。
我が人生の薯蕷饅頭のなかでもトップクラスの味だ。
「跡継ぎの方はいらっしゃるのですか?」
答えは想像通りだった。
世に華やかで商売上手であるだけで作られる、
下らない饅頭多々あれど、
これほどに薯蕷の香りの感じられる、
そして最上のこしあんの饅頭は見つからない。
長生きしてくださいねー。
蟹江川にかかる小さな橋のたもとにあったのが料亭『いなまん』。
屋号に郷土料理の「いなまんじゅう」をいただく店なので、この店を目指してここまで来た。
「いなまんじゅう」とはこの地でたっぷりとれただろう、
イナ(ボラの若魚)をずぼ抜きし、
中にあん(八丁みそ、ぎんなん、しいたけ、ゆず)を詰めて焼いたものだ。
予約していたコースを座敷でいただく。
最初はいたって定番的なホタテ、ヒラメ、甘えび(ホッコクアカエビ)というお造りから。
しょうゆは当然、たまりしょうゆ。
名物につきものの余分な存在ながら味は悪くはない。
初食べの「いなまん」がうまい。
身がふんわりして八丁みそを使った甘いあんがいい。
あんは八丁みそにぎんなん、しいたけ、ゆずの香りがする。
ちなみに酒は地元の四天王でやや辛口。
近年、名物とされて当たり前にその地にあると思っているものが、
いつの間にか消滅しているということが多々ある。
今回の「いなまんじゅう」もそれに近い絶滅危惧名物のひとつかも知れない。
本来は家庭料理だったものが、料理屋の料理になり、やがて消滅する。
この重大さを地元の人だけがわかっていなかったりする。
三陸を代表する魚というとサバやイワシもあるけれど、
サケ、ドンコ(エゾイソアイナメ)に
スエ(クロソイ)ではないだろうか?
今回の定置網の水揚げでも立派なスエが生きたまま水揚げされていた。
スエ(クロソイ)は北国に多い魚だが、
関東では評価が低く売れ行き好調とはいいかねる。
上品な白身で煮つけや、生きのいいものは刺身にして絶品であるが、
どうやら姿形から正統な評価が得られていないようなのだ。
朝方、定置網でスエを見て、お昼は町内にある『割烹 岩戸』でいただく。
住宅地にある小体な店で、なかなか上品な店内。
二階の座敷でいただいた膳のなかにスエの刺身があった。
包丁の腕も上々なのだろうけれど、これがまことに美味。
東京ではなかなか味わえないスエの真価を知る。
さて『割烹 岩戸』の料理であるが、
非常に上質で、味はそこそこであった。
が問題はそこに大槌町らしさが感じられないことだろう。
料理人の真骨頂は地域食材を見極めることにあり、と考えている。
日本料理(和食)は土産土法でなければ意味がない。
当主はまだ若いように見受けられた、
もう一段上、大槌流を極めて欲しいな。
割烹 岩戸 岩手県上閉伊郡大槌町大ヶ口2-3-39
岩手県上閉伊郡大槌町は、
今回の震災でももっとも大きな被害を受けたところ。
暗闇のなか、港を目指したときには気づかなかった
生々しい震災の傷跡が漁港からの帰り道に目の前に現れる。
このときはボク自身が大きなショックを
受けていたことに気づいていなかった。
実は帰宅後1週間になるというのにときどき
防災センターや壊れた防波堤が目に浮かんでくる。
そこでお亡くなりになった方達の生きていた日々のこと、
震災当日のことを想像して、早朝に目が覚めて眠れなくなる。
ただ、眠れないとき、
ボクのような一般人ができることを考えてみる。
それは、できるだけ被災地に行くこと、
しっかりこの津波の爪痕を見ることかな、などと思うのである。
そしてこれも重要なのだが、例えば大槌湾の美しさや、
おいしい海の幸を堪能して欲しいと思う。
さて、大槌町の2日目。
漁港はサケの豊漁にわいていた。
その分、変わった魚貝類は少ないのだが、
サケ満載のダンベに船いっぱいのマイワシを見ていて、
心が浮き浮きしてうれしくなってきた。
そこに宿である『六大工』のご主人小國さんが現れて、
袋に入れたヤリイカを渡してくれた。
「帰ったら刺身にしてもらえ」
小國さんは昔漁師であった。
そして今でも仲買、加工業、宿の経営などその仕事は手広い。
9時前に宿に帰ると宿泊客はすでに出払っており、
食堂はボクとマクブ(敬称は略なのだ)二人っきりの貸し切り状態だった。
朝食は比較的一般的な日本旅館のもの。
長逗留の方が多いので大変だろうと想像するが、
実はご飯もおかずも非常にうまい。
しかも毎日、違った品が出るなど工夫が見られる。
このなかで特筆すべきは「銀子(ギンザケの卵巣)」である。
釜石、大槌、宮古をスーパー巡りしたが、
総ての店舗にあったものが「銀子」と「紅子(ベニザケの卵巣)」、
「助子(スケトウダラの生の卵巣)」、「鱈子」だ。
三陸の方達はどうやら魚卵好きのようなのだ。
そこに女将さんが造ってくれたヤリイカの刺身がやってきた。
透明で身がピンと固い棒のようになっている。
釜石市で作られている甘口の「富士しょうゆ」を
かけて食べると無闇矢鱈にうまい。
尾鷲の岩田昭人さんなら「ヤリイカを食べに大槌町にきませんか」
と書くに違いない、そんなうまさである。
思わずご飯にのせて食べたら、ご飯の甘さとヤリイカの甘さ、
「富士しょうゆ」の甘さが三重奏をかなでて満足、満腹なのだ。
思い出すに、出っ張ったお腹を見て、お代わりをやめたのが残念だった。
被災地は考えさせられるだけではない。
大槌町は海の幸のおいしい町なのだ。
『六大工』
被災地に行ってきた。岩手県の被災地、すなわち三陸はボクが魚貝類を調べ始めた頃に訪れた地で、遅すぎる三陸行である。
そこで思うことは多々あり、実はあまりにも混沌とした復興状況、そこに集まる「石」の多さに唖然として、実は帰宅後高熱を発してしまった。
そこでいいことから始めたい。
東北自動車道から北上山地を抜けると釜石市に出る。
そこから40分ほどで大槌町大槌漁港に着いた。
この行程総てを運転したのがマクブであり、
ボクはのほほんと難の苦労もなく、
被災地に舞い降りたといったところ。
まだ真っ暗な5時前の港では定置網の水揚げが始まっていた。
ここでたくさんの方とお会いする。
その一人が大槌町鵜住居の『宝来館』の女将さんである。
気さくに朝ご飯用意できますよ、というので遠慮なく鵜住居に行く。
街というよりも荒れ地を行き交うトラックに脅かされながら、到着。
思った以上に立派な旅館で、
この旅館の二階まで津波が押し寄せたことが
入った限りではわからない。
旅館の前は白砂青松である。
食堂に招かれて出てきた朝食が見事であった。
ほとんどが地元のもので、マクブは「おいしいですね」を連発。
ご飯が止まらなくなるおいしさだった。
特にボクを魅了したのが「ひっつみ」。
ようするに練った小麦粉を手で摘まんでいれた、
すいとんに似た郷土料理だ。
マクブ曰く「目玉焼きはいらない」だけが問題点。
あえて卵料理を出したいなら、
地元流のしょうゆを使った卵焼きにするといいと思った。
さて、この朝食に関して
あれこれのたまう不思議な集団に出会う。
ボクが思うに、この朝食にアドバイスは不要だな。
というよりもアドバイザー自体が無用だろう。
それよりもむしろ旅館までのアプローチが大問題だ。
早くこの混沌としてまとまりのない復興・工事が終了することをいのる。