魚貝類を探す旅: 2007年7月アーカイブ

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 徳島の魚は多彩で、しかも漁場が近いので生きがいい。これを季節季節に取り寄せるには徳島中央卸売市場内の「榎本兵」に注文するのが手早いだろう。
 これから盛夏になるとともに多彩な徳島のエビが揚がるだろうし、吉野川などからの天然アユ、天然ウナギ、そして応神のシジミ、淡路島回りのマアジ、タチウオなどもとれる。
 詳しくはサイトを見て問い合わせ後に注文して欲しい。関東ではあまり手に入らない阿波の魚、飲食店などでも他店との差別化に使えるはずだ。

榎本兵(えもとひょう)
http://www.emotohyo.co.jp/
徳島中央卸売市場 徳島県徳島市北沖州4の1の38
http://www.city.tokushima.tokushima.jp/chuo_ichiba/index.html


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“徳島の魚”とはなんなのだろう? これが意外に明確ではないのである。例えば九州の宮崎、大分、兵庫県明石の魚まどは所謂ブランド化されているとも思える。これと比べると徳島の魚には、あったく何の名称も冠されていない。では魚に乏しいかというと、まったく逆で遜色ないどころか多彩過ぎるくらいだと思える。
 例えば瀬戸内海の魚である小魚、小エビもとれる。また名物のハモもあり、吉野川の天然ウナギにアユも他を圧倒した旨さを誇っている。そこに黒潮がもたらすカツオやトビウオ類、はたまたマグロやムロアジなども加わる。この豊かさをどのように表現していくかが水産豊かな徳島県が抱える課題だろう。

 競り場を歩いていて先ず目に付いたのが吉野川、那賀川などの天然ウナギ、アユである。ずらりと並ぶアユの見事さはその味の良さとともに特筆すべきだ。7月、8月と県内どこの町に行っても飲食店の店先には「あいの塩焼きできます」という札が下がっている。

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ネットに入っているのがウナギ、右にアユ

 また江戸時代に築かれた第十堰下流域応神でのヤマトシジミも味の良さでは天下一品である。このシジミの漁獲量も年々減少しているという。

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一キロネットで1800円という高値。でも食べてみて納得するはず

 吉野川といえば「川えび(テナガエビ類)」も水揚げされていた。見たところテナガエビとミナミテナガエビであるように思える。
 徳島市からいちばん近い海がそれこそ鳴門、小松島、そして市内津田沖である。鳴門には釣り漁もあるし、小松島で有名なのが「ちりめん」である。この日は浅い場所を曳く底引きの獲物が目に付いた。
 海の幸としては最初に目に飛び込んできたのが活けのハモ。もともと徳島ではハモをあまり食べなかった。それが近年徳島を代表する魚となったのは海を挟んだ大阪や京都の影響だろう。

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左には天然クルマエビ、そしてハモ

 またもっとも箱の数が多いのがクルマエビ科のエビたち。「さるぼ(アカエビ)」、「ぬきえび(サルエビ)」、「足赤(クマエビ)」、クルマエビ。「赤えび(クダヒゲエビの仲間)」は徳島ならではのもの。クルマエビに近い同じ根鰓目のクダヒゲエビ科のエビを「赤えび」というのも今回の収穫。

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これはアカエビで徳島では「さるぼ」

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「赤えび」。これは本来のクルマエビ科アカエビ属のアカエビではなくクダヒゲエビ科のエビ

 カニでは「わたりがに(ガザミ)」、「がざみ(タイワンガザミ)」。片隅に北海道から陸送されたのかズワイガニとケガニがひっそりと置かれていた。

 貝では、淡路からコシダカガンガラ、「にし(アカニシ)」、ハナツメタ、ツメタガイ、ヤツシロガイ、ボウシュウボラ。このハナツメタは瀬戸内海を代表する食用貝でもある。

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 メガイアワビ、クロアワビ、トコブシ。鳴門からはイワガキも入荷してきている。そしてマダコ、イイダコにケンサキイカ、カミナリイカ。

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活け魚の多彩だ

 魚では見事なマダイ、「ちぬ(クロダイ)」、アイゴ、シロギス、マアジ、スズキ、カイワリ、「いさぎ(イサキ)」、「ぼうぜ(イボダイ)」、マナガツオ、「柳(サワラ)」、メバチマグロの小振りなのもあるし、カツオ、マサバ、アカカマス、コロダイ、クロホシフエダイ、マアナゴ、ヒラメ、メイタガレイ、ヒラメ、クロウシノシタ、カサゴ、コチ、トラフグ、カワハギ。

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 文章が乱雑になるがここで「ぼうぜ(イボダイ)」について書いておきたい。徳島では姿寿司をよく作るのだ。「さば(マサバ)」、「あじ(マアジ)」、「かます(アカカマス)」、サンマはよそでも見るが、珍しいのが「ぼうぜのすし」。ボクはその昔、市内の親戚や知り合いの家でよく食べたものだ。この美味は徳島ならではのもの。
 競り場に並んだ魚貝類をただただ書き上げてきた。それにしても地ものだけなのにいかに多彩かがわかっていただけただろうか? ちなみにこの日、台風4号が北上、近づきつつあった。当然出船は少なかったはずである。

徳島中央卸売市場 徳島県徳島市北沖州4の1の38
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徳島大水魚市
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徳島魚市場
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 大鳴門橋を渡り、鳴門インターから11号に、そこから吉野川を渡ると徳島市である。このときまだ6時過ぎ。3年ぶりに渡る吉野川はやっぱり大きいなと思う。我が太郎も「父ちゃんこれ川かな」なんて言うくらいだから、橋を渡りながら見る景色も雄大なのだ。この素晴らしい河口域になんとかして河口堰を造ってしまおうなんていやらしい連中がいるのが理解できない。コヤツら「美しい日本」が嫌いなんだろうか? 橋を渡って左折、沖州市場(徳島中央卸売市場)には6時半には到着できた。

 入り口通過はまったく問題なし。こまったのは駐車場である。守衛さんに「どこでもあいとるところに止めたらええんじゃ」と言われるが、そんなに簡単じゃない。駐車するのに手間取って、まずは青果棟にはいる。
 中央市場はどこでもそうなのだが左右振り分けで水産棟と青果市場がある。向かって左側の青果棟が断然広く夏にはスダチ、秋には鳴門金時など徳島の特産物が並ぶ。そして目差すのが水産棟である。
 青果の半分ほどの建物と言っても、それは巨大である。その右端に仲卸の店舗、左手の大部分が競り場となっている。この競り場と仲卸になにひとつ仕切らしきものがないのが珍しい。

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 さて競り場の手前に大物ののスペースがある。ここに並んでいるのがメバチマグロとキハダマグロである。キハダマグロが圧倒的に多い。また競り場だけではなく場内のあちらこちらに無造作にキハダマグロが置かれている。

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 競り場を進むと、水産棟の北側に徳島大水魚市、南側に徳島魚市の荷受けがあるようだ。ともに置いてある荷は似通っている。また陸送してきたものは既にあらかたなくなっており、これを見るためにはたぶん深夜に来る必要がありそうだ。
 さてまずはこの2荷受けの競り場を見て回ることにする。

徳島中央卸売市場 徳島県徳島市北沖州4の1の38
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徳島大水魚市
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徳島魚市場
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徳島と香川の旅

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 夜の中央高速、名神を過ぎて明石海峡大橋を渡る。意外に淡路島が大きく走る時間が長いのだ。そして夜が明けて大鳴門橋にかかると「帰ってきたんだなー」と思う。
 今回の帰郷は老父とともに出来るだけ過ごすというもの。あまりあちこちは出来ないが、少ないながら魚貝類も見ることが出来た。
 そんな徳島香川の旅のはじまりのはじまりのはじまりなのだ。


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 港から日生の駅を目差す。ヒモマキバイさんの「駅前にうまそうな穴子の店があったんです。前に寄れなかったんで今回はぜひ」というのでそのお店を探す。日生駅周辺をなんどか往復するが店が見つからない。

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 そこでボクが五十路男の決断をする。「お昼はお好み焼きだ!」。実を言うとさっき通り過ぎた坂道、店先に人形とオバチャンの立つこぢんまりしたお好み焼き屋があって、なかなか惹かれるところ大であったのだ。
 それが『安良田お好み焼店』という。まあ「お好み焼店」はいらないだろうから「安良田」としておこう。ここまで引き返して店に入るなり驚いたのだ。まるでタイムマシーンで40年以上前に旅をしたようだ。店の右手には厨房。ここでキャベツを切ったり、イカや豚肉を用意する。その前の空間が店内なのだが、これがちょうど真四角になっており、右手にお好み焼きの「焼き台」があるのだ。
 ボクの子供の頃には、この焼き台ひとつの店というのがあったのである。「みどりや」それと「しげのや」だったろうか漢字はまったく思い出せない。そこへ十円玉をいくつか握りしめ、もしくは予め大人が声をかけておいてから所謂いちばんお安いお好み焼きを食べに行くのだ。その焼き台が消失したのはどの時代からだろう。いつの間にか客席が焼きテーブルになり、作りも家具といったものになった。
 目の前にあるのは明らかに古い形のコンクリートやタイルで造った焼き台である。

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 ボクはクルマを止めるために遅れて、一足先に入ったきんのり丸さんとヒモマキバイさんはすでに注文を済ませていた。
 ヒモマキバイさんはその名も「セレブ焼き」というもの。具材には豚肉も穴子もイカも入っているというそれこそスペシャルなもの。そしてきんのり丸さんは「オム焼きそば」である。この「オム焼きそば」は関西では定番的なものである。そこにボクが加えたのが「イカ豚玉」である。これはお好み焼き研究家にしかわからないことだけど、イカと豚三枚肉というのはお好み焼き世界の3番、4番バッターなのである。
 この「安良田」のお好み焼きが最近の洗練された大阪のものとは違い素朴なものだった。工夫が足りないとも思えるが、懐かしいような、ボクなどの五十路男にはうれしいものだ。また「セレブ焼き」というのは具材はセレブ(この言葉は好きではないな。これを見ると一種我が国の痴呆さ加減が見えてくる)でも味わいはセレブじゃない。その言葉のセレブ並に迷走している。

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 それに対してオム焼きそばはさすがに定番的なうまさ。まあ、香ばしく焼いた卵焼きと熱い鉄板の上で焼き上げた中華麺とが合わさったのだから、子供っぽい食い物であるお好み焼きを子供っぽく味わえる。最後にイカ豚玉であるが、これが王道を行く味わいで満足度大。

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「安良田」の女将さんがしきりに「秋でしたらな」を繰り返す。日生ではカキのシーズンになると「かきおこ」という名物メニューが食べられるという。これなどカキの季節にもう一度来て食べてみたいと思う。お好み焼きという庶民の味覚とマガキ、なかなか相性がよさそうだ。
カキお好み焼きHP
http://www.geocities.jp/kakiokonomi/kakiokonomi_1.html

 三人でたっぷりお好み焼きを堪能、ヒモマキバイさんなどひとりで「お好み焼きと瓶ビール」という極楽コースを楽しむ。

 これが岡山での最後の章となる。

 午後1時近くに赤穂インターにのり、一路八王子を目差す。途中、渋滞には巻き込まれなかった。大阪か京都の間も2経路となってまったく快適至極だった。そしてもう少しで大月と言うところで小仏トンネルの定番的な渋滞にぶちあたる。意を決して大月で中央自動車道をおり、お二人にはカップ酒を飲んで頂いて中央線高尾山の駅に10時近くに到着する。車中ではいろんなことをおしゃべりした。またこの二日間のなんと濃密であったことか。こんな旅がまた出来るとうれしいのだが。

 追伸。
 木更津でカイヤドリウミグモが大発生して、きんのり丸さんたちアサリ漁師が危機的な状態に陥っている。監督官庁である、農水省をはじめ、なんとか打つ手はないのだろうか? 若き安倍政権も腕の見せ所だと思うのだけど。また多くの方に木更津での現状を知って欲しいものである。


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 瀬戸内海の鄙びた港を期待して、たぶん30年振りの日生についた。学生の頃一度だけここに来ているのだ。でもいかんせんその記憶がない。あまり魚にも街にも興味がなかったのだから仕方がないか。そして目の前にあるのはあまり鄙びたとも、素朴とも思えない日生の情景である。
 この真横から見るとタコが足を広げたような異様な建物はなんだろう? まさか設計者は瀬戸内海の美観をいかに破壊するかを真剣に狙ったのではないだろうな。見ていて不愉快になる。

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 でもその不愉快さは建物の手前にある建物に近寄って見つけたものによって急速に和らいだ。そこにあったのが大量のヒラである。

 大潮の日にヒラは刺し網であがる。本来刺し網はサワラを狙うのだけど、不漁時にはヒラ狙いに替わるのだとも言われている。このヒラを見て、ヒモマキバイさんが箱に並べている人のもとに吹っ飛んでいった。驚いたことに「売ってくれ」と言っているようだ。昨日食べたヒラがよほど気に入ったようだ。ほどなく1本手にして帰ってきた。競り場の入り口には「ぐち(シログチ)」をさばいている女性がいる。そう言えばその昔に来たときは、こんな魚を卸す人がたくさんいた。それに市のようなものはなかったように記憶する。「五味の市」というのは決まった日にだけ開かれるのではなかったか?

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 さて大きなタコの体内に入る。そこに乾物や煎餅を売る店があり、見つけたのが「白藻」。これも岡山ならではの食用海藻で探していたもの。これを一袋買い。とにかくぐるりと場内を見て回る。観光客、魚を買う人もまばらである。これは日曜日なのに意外だ。

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 店舗で魚を売るのはほとんどが女性。店の前に氷を置いたステンレスケースなどがあってその上のバットに並んでいる。また活けものが多いのはさすがに漁港ならではだろう。

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 紙に「大丁」とあってヒイラギ、「つなし」のコノシロ、テンジクダイは「いしもち」。「はりいか(コウイカ)」、「もんごういか(カミナリイカ)」、「真いか(シリヤケイカ)のコウイカ科3種。スズキ、クラカケトラギス、ハモ、「ままかり(サッパ)」、「朱口(メナダ)」、アカカマス、マアナゴ、「めばる(カサゴ)。「べいか」とあるがジンドウイカに見える。「赤下駄(アカシタビラメ)」、シロギス、「天こち」は種を確かめなかった。「たぬきだべ(ハナツメタ)」「こぶと(サルエビ)」「すくもえび(ヨシエビ)」、シャコに「真がに(ガザミ)」、イシガニ、テナガダコ。

 場内できんのり丸さんを探すと日生産の板海苔を売る店のオバチャンと話し込んでいる。

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 東京湾の海苔漁師であり、またNPO「里海の会」の代表として是非とも見ておかなければならぬものだろう。この日生の海苔も買ってくるべきだったと後悔している。

 ボクが買ったのは「朱口(メナダ)」と「たぬきだべ(ハナツメタ)」、そして「白藻」。ヒモマキバイさんはもっと買い込んでいるようだ。
 最後にお弁当などを売る店で穴子飯とサワラの寿司を買い求める。

 日生で見つけた魚貝類の種類はあまり多くはなかった。でも他の土地では利用されない日生ならではの小魚や、甲殻類はたっぷり見ることが出来たのは大きい。またこれら総てが鮮度抜群でうまそうなものばかりだ。水揚げ港でこのような市が開かれるもうひとつの意味合いに、土地ならではの食文化を絶やすことなく継承するという役割もあるように思える。この点では「五味の市」は素晴らしいものである。
 ほんの1時間足らずの滞在であった。こんどはじっくり時間を作ってくるのだと、「五味の市」を後にする。


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 岡山県は備前、備中、備後の三国からなる。岡山の歴史の本を紐解くと、それぞれに人も風土も訛りも違っているのだという。備中にある倉敷市から東へクルマを走らせる。このとき高速に乗るかどうか? 迷っていたのだが、なんとなく国道を東北に走ることとなった。まあ道すがら、気になるものを見つけたら飛び込んでみたいし、また地スーパーにも立ち寄ってみたいと思っていたのだ。

 地スーパーと言えば四国にも同名の店舗がある「マルナカ」にはどうしても立ち寄りたかった。なぜかと言うに岡山中央市場で多くの荷(発泡の箱)に「マルナカ」の文字の札を見つけたからである。ボクは常々思うのだが地魚には、その土地ならではの文化がある。また風習や伝統的な行事とも結びついているはずなのだ。その地魚を扱う地スーパーが減り、全国展開する超大型店舗がまるでガンのように地域文化を冒してしまっている。そんななか「マルナカ」の競り落としていた魚は所謂瀬戸の小魚といえそうなものも多かったのである。

「マルナカ」を探して東行する。岡山市に入り、ほどなく大きな「マルナカ」を見つけて早速探検する。時刻は10時過ぎ。なんとか夜には帰り着かなければならないので大急ぎで店を回る。
 そして鮮魚市場で見たものが、確かに間違いなく地魚がたっぷり。「いしもち(ねぶと テンジクダイ)」「がらえび(サルエビ)」、テナガダコ、今年多いという「真いか(シリヤケイカ)」もある。シャコも「赤下駄(イヌノシタ)」もあって、その時間にはなかったが刺身コーナーにはヒラも登場するという。

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左から「いしもち(ねぶと テンジクダイ)」、「がらえび(サルエビ)」。

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左、シャコ、右、テナガダコ。どれも安いのに驚く。日生の五味の市よりも安いと思う

 調味料では宮島の「かき醤油」、「金虎醤油」もあり四国の出汁醤油もある。徳島製粉のカップうどんもあって思わず買ってしまった。
「オレ、今までお土産買ったことなかったんだよな」
 こんなことを言いながら、きんのり丸さんも手に数点持っている。

 さて、ヒモマキバイさんの過酷な運命に至る経緯や、自宅で待つ可愛い子ちゃんの話を聞きながら備前市に入る。備前市伊部(伊部)と言えば備前焼の本場だ。ちょうど伊部の駅が物産館になっていたので入ってみる。2階が備前焼の直売所。名もない人のものもある。金重陶陽、藤原雄なんて100万円以上もするのもある。それで感激したかというと、どうにも感動は薄いのだ。備前焼は素晴らしい。でもこれ「け」の器と言えるだろうか? 例えば備前焼のいいものを使うにはそれなりの空間を必要とするし、また光なども考慮すべきだ。ボクが使いこなす環境にもないし、使えるものでもない。無縁の器だとしか思えないのだ。意外に芸術的感性の鋭い、きんのり丸さんも「ミス備前はあまり可愛くないね」と階段途中のポスターを見ながら呟いたのみ。ボクもそうだなと思ったが、よく見りゃ可愛くもあると言っておきたい。

 伊部を超えて道を南にとるとほどなく海にぶつかる。これは対岸が見えるところから入り江だろう。そして日生の街を通り、港に到着する。通り抜けた日生の街がよかった。そして気になったのが水餃子の暖簾を掲げた店。
「お昼に水餃子っていいな」
 きんのり丸さんのことも思って呟くと。
「だめだめ、日生には穴子のうまい店があるんです。ここまで来たらうまい焼き穴子食べなきゃ」
 ヒモマキバイさんが直線的な理論で押してくる。
 何はともあれクルマを下りて海辺に向かう。

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 真っ暗な駐車場にもどる。そこには当然幽霊も悲惨な自殺者もいない。ただの静かな海辺の空間があるだけだ。耳をすますと波の音が聞こえる。そこでクルマに様々な荷物をのせて、また倉敷の街に向かう。
 暗闇から現れる光は今風のチェーン店、関東では見かけないレストラン、どの当たりを走っているのかまるでわからないが北上しているのだけは確かだ。途中、きんのり丸さんがコーヒーを買いたいとコンビニに立ち寄る。きんのり丸さんのタバコやコーヒーなどを頻繁に欲しがるのに「大丈夫だろうか」と心配になる。

「急ぎますので高速に乗ります」
 武内さんが言って、暗闇に近い寂しい上り坂を曲がる。たぶんこれが水島インターだろう。うとうとしていると倉敷の街に下っている。そしていつの間にか酒津の武内さんのお宅にたどり着く。
 そこからシャワーを浴びるまでの記憶がほとんどない。二階の寝床がしつらえられた間に尻餅をつく、便意を催して排便しているとき、武内さんから
「ぼうずコンニャクさん大丈夫ですか?」
 声をかけられる。ボクは昼間よりも元気ですよ、と言いたいほどに回復してきている。武内家の便器にたっぷりうんちを排出し、シャワーを浴びると気分上々となる。

 寝間にもどるとヒモマキバイさんがいない。階段をくだって武内家の居間に入ると武内夫妻、ヒモマキバイさんがテーブルを囲んでいる。
 その椅子が不思議である。今どきの椅子よりも左右が狭いのだ。ボクは座るのに危機感を感じる。腰を下ろす、ゆっくり、ゆっくり、すると左右の肘置きがボクに吸いついてくる。これはどうしたことか、ほんの数分でボクの心はゆるみ、居心地がまるで母の体内に居る如くになる。まあ疲れすぎているのでそう思っただけだろうが、それからの数時間が楽しかったな。ほどなくきんのり丸さんも下りてくる。
 きんのり丸さんが持ってきた上総のりをつまみにビール、倉敷の地酒をたんといただく。ほどよく酔いがまわってきて、おしゃべりの花が咲くのだ。
 ボクはこの数時間できんのり丸さん、モマキバイさんがますます大好きになり、それ以上に武内夫婦に親近感を覚え、ちょっとだけ武内夫婦に嫉妬する。武内立爾さんにとって高校時代、今の奥さんは憧れの人だったという。そしてその人が今ここでいるのだ。
 うらやましいと言えば、きんのり丸さんも「今でも妻を愛してます」といってはばからない。愛情関係ではどん底にいるヒモマキバイさんともども「人生って辛いな」なんてことも思うのだ。

 話は変わるが武内さんの銀座のギャラリーでの第一印象はこの人「ガードの堅い人」かも知れないというもの。でも話し込むととても実直に、その言葉が深々とボクに伝わってくる。今回、倉敷に来て、またその「直線過ぎる硬さ」壁を感じる。それで一言二言話してみると「懐かしいような人恋しいような」気持ちになるのだ。これには困った。困ったと言えば武内さんの奥さん(ご免お名前を忘れた)の印象である。後々物語るが、ボクは武内家のご母堂にびっくりしたのだ。そのたおやかさや、倉敷の街で生きてきた「どこか謎めいたもの」。武内さんの奥さんはそのご母堂(この言葉を選んだのにはワケがある。“お母様”でもないし、“母上”も違うし、残ったのがこの言葉)の系統を何気なく継承している。まあたぶんボクは武内さんの奥さんに惚れたのである。しかし、うらやしいな武内さん。

 さて話は12時間前にさかのぼる。武内家にたどり着いたボクたちへっぽこトリオは武内さんの手料理によるうどんをご馳走になった。それはあまり特筆すべきものではないがそのテーブルに載っていたのがご母堂手作りの「こうなごのくぎ煮」である。この「くぎ煮」がボクなどでは真似のできないものだった。「作り方」を聞いても間違いなく絶対に作れないものというのがあるが、これなどまさにそれだろう。毎年「こうなご(イカナゴの稚魚)」が揚がるたびに何十年と作ってきている。その年月が作り出したのがこの「くぎ煮」の味である。そしてそこに武内さんの日常使いの器だ。これは芸術とか非芸術とかを超えた技が作り出す「け」の器だが、なぜか菜としての「くぎ煮」をのせてより美しさを主張している。

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 この器と「くぎ煮」に感激したのはボクだけではなかったようだ。目の前でヒモマキバイさんの目がキラキラしている。きんのり丸さんの箸も「くぎ煮」の皿をなんども行き交う。
「うまいな。山椒が入っていますね」
 きんのり丸さんが「くぎ煮」の皿をじっくり見て話す。そしてまた箸がでる。気になるのは、その箸のすくい上げる「くぎ煮」がものすごく多いということだ。

 夜は深々と更けていく。ふとトイレに立ち、ケータイを見ると東京の尻高鰤さんから着信がある。築地族なので大丈夫か? と不安になりながらかけ直すとすぐに繋がったのである。なんでもない「かけてみたかっただけ」と尻高鰤さんは言うが、「ひょっとしたら尻高鰤さんも来たかったんじゃないの」というのが当たっているだろう。
 ケータイを置くと時刻は2時を回っていたのではないか? このとき時計を見ていない。でも間違いなく15日の朝6時以来眠っていないわけで、五十路のボクには限界が来ていた。

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 翌朝目覚めたのは7時過ぎだった。疲れはすっかりとれている。我々が泊まった2階の座敷は武内立爾さんの作品が置かれているところ。布団から抜け出すと、ヒモマキバイさんが大皿を並べて思案顔。青い釉薬が蔓植物を描いたようにうずまく皿を持って
「これもいいし、この赤い色合いが入ったのもいい」
 また奥から皿を出してきて、確実に深い悩みに陥っていくようだ。一階でパンとサラダ、コーヒーの朝食をいただき、またもどってもヒモマキバイさんの悩みは続くのである。

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 窓の外には築地塀が見える。その土色の回りに無数の木々があるのだけど、その位置関係が微妙だ。無造作でもない意図的でもない。それに手前にある大木はカエデなのである。この窓からの秋の景色を思い、また手前の見事な辰砂の大皿を見るともなく見る。そこに四次元の空隙が出来ているように思えて、時空を超えて自分を秋の日に旅立たせたい気になる。
 結局ヒモマキバイさんは「離婚も成立しそうだし、記念に皿を買っていきます」とわけのわからないことを言って数枚選んだ。

 さてそろそろ武内家を辞去する時刻である。武内家の門までの小径に白い可愛らしい花を見つける。ご母堂に問うと、都忘れだという。
 去り際になんだかもの悲しい気分になってしまったが、おふたりに見送られて日生を目差す。


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 桟橋に揚がるときんのり丸さんが「土左衛門でも見つけたのかと思った」と一言。それほど時間を費やしているのだ。
「からこと丸」の建物の前にはバーベキューの用意が調っている。そこにカコさんが皿一杯の刺身を持ってきてくれる。
 中には「白みる(ナミガイ)」「にし(アカニシ)」「本みる(ミルクイ)」、もう一皿にはマコガレイと「紋甲いか(カミナリイカ)」がたっぷり。
 バーベキューの網の上には「姫貝(アケガイ)」「石貝(オニアサリ)」と野菜が焼かれている。ここで思い出したのが朝方、県水(岡山県水)の合地さんにいただいたヒラ。これを大急ぎで骨切りして網にのせる。
 網の上はまことに豪勢極まりない。

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 そろそろ9時を回る。缶ビールを一気に飲み干すと疲れをあまり感じなくなる。ここでカコさんと野鳥のこと、また武内さんともどもネットを通じての不思議な縁の話となる。また我が家で日曜日に見ている「鉄腕ダッシュ」というアイドルグループの番組でご夫婦を見かけた話をすると「本当は(当日)潮干狩りの撮影もする予定だったんです。それが来るのが遅れて出たのはちょっとだけ」になったのだという。

 刺身では「紋甲いか(カミナリイカ)」が絶品である。この辺では「針いか(コウイカ)」よりも断然値段的にも上であるという。このあたり「墨いか(コウイカ)」を珍重する関東とは対照的だ。
 また焼いた「姫貝(アケガイ)」の味わいは予想以上である。みそ汁にするよりも焼くというのがいちばんうまい食べ方かも知れない。
 網の上にのせた巨大なヒラ。その魚体からポタポタと脂が落ちてきている。これをヒモマキバイさんとエイヤ! と返すが皮が見事にひっぺがれてしまった。でもこの剥がれて出てきた白い身がうまいのである。
「ヒラってこんなにうまかったんだ」
「からこと丸」さん夫婦によると児島あたりではあまりヒラを食べないと言うのだ。

 そろそろ10時を回りそうだ。明日も早朝からお客を迎える「からこと丸」さんがお帰りになり、カコさんと後かたづけをする。
「からこと丸」さんたちにはまことにお世話になりました。また遊びに行きますので末永くお元気で!

高洲の潮干狩り
http://www.tamano.or.jp/usr/karakoto/siohigari.html


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 桟橋に帰り着くと、グググーっと疲れが深刻にうち寄せてきていた。ここで座り込むと、疲れの神様にどどっと押し出されそうだ。これに対して元気至極なのがヒモマキバイさんである。この人、半ズボンで砂浜に立つとタイワンから来た少年のように思える。さてお次は「からこと丸」さんが予め仕掛けて置いてくれた刺し網を揚げに行くのだ。

「からこと丸」さんの息子さんの小船が桟橋に繋留されている。「そろそろ出ますよ」というので船に乗り込む。続いてヒモマキバイさん、武内さんと来て、総勢5人で船出となる。このとききんのり丸さん「オレは漁師だから遠慮する」といって「からこと丸」のバンガローでバーベキューの準備。
 船出といっても刺し網のブイまでは1分くらいしかかからないで到達。そこからスローにして網を手繰っていく。
 始めはなかなか獲物がかからなかった。
 胴の間にはヒモマキバイさんがいて、その先の夕日が紅に燃えている。

 最初に揚がってきたのは「針いか(コウイカ)」である。これをはずし始めたのがヒモマキバイさん、ボクなどとっくに戦闘不能となっているのにこの機敏な動きはどこからくるのやら。3枚重ねた刺し網で非常に手間のかかる「外し」の作業を黙々とこなしている。
 いちばん多いのが「針いか(コウイカ)」、そして「紋甲いか(カミナリイカ)」、テナガダコ。魚はマコガレイが混ざる程度。ちょうど「からこと丸」の店先を横切るように外していくが、遅々としてすすまない。

 結局、7時前に乗り込んで桟橋に帰り着いたのが9時近くではなかったか。最後に網が根をかけてしまったので予想を大きく上回っての遅い帰港となった。

高洲の潮干狩り
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 高洲に立って西に瀬戸大橋、そして鯨島。鯨島の方に武内さんと向かう。そこで高洲潮干狩り名人の飯田さんに会う。

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 最初に干上がった場所から西に向かうと、アマモの群落に行き当たる。それはそれは美しい真緑のアマモが瀬戸内海の潮の流れの中でたゆたっている。

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「ゆっくり足に引っかかるものを探しながら歩くんです。タイラギは立てになっていますので板の端に当たったように感じます」
 そのとおりにゆっくりゆっくり歩いていく。いつの間にか武内さんの手には「姫貝(アケガイ)」がひとつ。飯田さんも小さな「たいらがい(リシケタイラギ)」を持っている。

 アマモの間にはネズミゴチ、エビジャコが走っている。ハスノハカシパンだろうか点々と落ちているかのようだ。モエビ(ツノモエビ)、サンショウウニ、サルエビ、カイカムリも見える。

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右手に見えるのは鯨島。梅雨のゆぬまの青空に刷毛で描いたような白雲がかかる。本四連絡橋、鯨島、対岸讃岐、そして東に見えるのは直島だろうか? この景色はまことに心に残るものである。

 アマモの中を手網ですくうが意外にもなにもとれない。足に当たるものを感じて探るとボールのような軟らかなものを拾う。なんとこれがヒガンフグである。手に持って撮影しようとしたらヌルっと逃げてしまった。
 足元にしっかり硬いものを感じたのは高洲に来て1時間以上経ったとき。ここで見つけたのが小さなハボウキガイ。つづいてアカニシを2個。遠くに座り込んで一心に砂を掘るヒモマキバイさんを見つける。バケツにはたくさんの「姫貝(アケガイ)」「石貝(オニアサリ)」が入っている。そこにきんのり丸さんも来て、そのバケツにはタイラギが入っている。
 高洲の潮干狩りも終盤だという、なかなか獲物が見つからない。
 武内さんもすっかり干上がった高洲に来て「今日は少ないですね」と言う。
 確かに潮干狩りとしては獲物が少なすぎる。でもこの獲物の多彩さには驚かざる終えない。

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 ふと自分のバケツを見ると、びっくりしたことにいつの間にかマツバダコが一匹、いや無数にいる。子供を守っていたお父さんダコだろうか、その回りに小ダコがわんさか。これは拾ったアカニシに入っていたらしい。大急ぎで撮影して海に帰してやる。

「おーい」
 武内さんが呼んでいる。近づくとそこには大きな穴があって、竹の串が刺さっている。
「これ『白みる(ナミガイ)』の穴だと思います」
 その竹の串を中心にして武内さんがワッセザッセザッセとスコップで1メートルほども掘り下げる。そしてヒモマキバイさんが水をくみ上げ、武内さんが手を突っ込んで掴み揚げたのが立派な「白みる(ナミガイ)」である。

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 高洲での潮干狩りの特徴はアサリがほとんどとれないということだ。そのアサリに代わるのがアケガイとオニアサリ。そして熟練するとナミガイ、タイラギ、ハボウキガイ、アカマテガイ、マテガイ、キヌタアゲマキなどがとれる。この多彩な獲物は潮干狩りする人々が徐々に開拓していった獲物である。

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画像は左からリシケタイラギ、ハボウキガイ、上の段のハマグリ型二枚貝は左からサルボウ、「石貝(オニアサリ)」「姫貝(アケガイ)」、中央がアカマテガイ、隣が当日たったひとつとれたアサリ、その右がキヌタアゲマキである

 さて既にボクはこのときあまり動けなくなっていた。疲労がピークに来ていたのだ。それに反して元気いっぱいなのがヒモマキバイさんである。武内さんのナミガイとりにも参加。またキヌタアゲマキも積極的に掘りとっていく。

 瀬戸内海の小さな湾に残されたアマモ場である高洲。キヌタアゲマキを無心に掘るヒモマキバイさんを見ながら、こんなことを毎年やっていて大丈夫なんだろうか? と心配になる。
「毎年、どんどんアマモは生えてくるそうです」
 武内さんの言葉からも瀬戸内海の再生力の高さを感じる。でも東京湾漁師である、きんのり丸さんにもボクにも若干の危惧は残ったままである。
 ボクなりに考えるのは、高洲でのアマモの状況をいちばんよく把握するのは他でもない潮干狩りをする人たちだと思う。特のそのなかでも飯田さんや武内さんなど高洲のプロと目されている方達はアマモにも気を配ってくれるだろう。

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 西の空が赤く染まってきている。美しすぎる瀬戸の夕焼けである。ボクの頭はこの景色に空白になる。

高洲の潮干狩り
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 倉敷インターを下りたら、後はすんなりと酒津の武内さんのお宅に到着した。武内さんに関しては後々、まとめるとして、ほんの1時間ほどで今度は武内さんの運転で倉敷市児島唐琴を目差す。南下する国道、街並みがとぎれて右手にたくさんの送電線や煙突が見えてきた。これが水島コンビナートである。児島街に入るとところどころに焼き板塀の建物が見える。

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 児島は瀬戸大橋の東側。瀬戸大橋が下津井鷲羽山を持つ半島に架かる、そこから東へとなだらかな湾があり、その東の端に唐琴がある。倉敷の街から、1時間ほどで高洲に到着した。山側に国民宿舎、岩ゴロゴロの小高い山があり、道を挟んで瀬戸内海が見晴らせる。
 唐琴に到着したのが2時過ぎであった。ちなみに武内立爾さんと、きんのり丸さんヒモマキバイさんは初対面であった。でも不思議なことに車中は和気あいあい。みんなボクの声が●●●●という歌手に似ていると言って話すたびに大笑いするのには困った困った。さてクイズ、この歌手の名は?
 閑話休題。
 国民宿舎の前の駐車場はすでに満杯状態に近い。そのいちばん東に岡山県警のバスがとまり、パトカーも我々が到着と前後して駐車場に入る。なんだかものものしい雰囲気だが、その脇にはスコップや貝掘りのくま手、大きなバケツをもったそれこそ老若男女が無関心そうに行き交う。
「駐車場が空いててよかったですね」
 武内さんと話していると、警官数人がバスの脇で国民宿舎の裏側のゴロゴロ山を指さしてなにやら深刻そうに話している。どうもこのとき「自殺願望の女性が、この駐車場にクルマを乗り捨てて山に入ってしまった」ということらしい。徹夜続きで頭がぼーっとしているので、「どうせ死ぬならこんなゴロゴロ山に登ることもあるまいに」なんて不遜な思いが浮かぶ。
 駐車場から東側にまわるとそこが『からこと丸』の建物。その前が狭い砂浜になっていて艀が浮かぶ。建物では焼きそばやビールなども買えそう。窓の向こうにいたのが、WEBからこと丸の管理人、カコさん。初めましてと言うか言わぬかで後から後からお客が押し寄せてくる。

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 武内さんが「ビールもありますので飲みますか」と言ってはくれるが、このただごとではない人の波に居ても立ってもいられなくなる。早々に胴長を着込んで出船を待つ。
 浜の砂はさらさらときれいだ。汀にはゴロタ石もあり、そこに海藻がたくさん流れ着いている。そこでミルらしきものを発見。これを撮影していると、艀に向かって列が出来てきている。
 出船は3時半である。武内さんが沖を指さして「あの黒くなって見える場所がありますよね。あそこが高洲です」と教えてくれる。その黒い洲の先には本四連絡橋が四国に繋がっている。そう言えば対岸にぽっこり浮かんで見える山は讃岐富士に違いない。

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 カコさんのアナウンスで列が動き、最初は大きな艀に乗り込み、艀ごと高洲に向かう。

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 我々は第二陣、こんどは小型の客船に乗り込んで、その艀を目差すのだ。浜から高洲まではほんの数分。到着したのは瀬戸内海のど真ん中といった洲浜であった。

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 じっとしていると睡魔が襲ってきそうである。汀にそって歩く。対岸にはカブトガニ博物館や老人医療の建物が見える。今は満潮らしく潮の流れはなく澄んだ海の中、護岸、杭を見て回るが生き物は見つけられない。
 港の先端に艀があって、そこへ渡ってみる。停泊する船はみな小型である。やや大き目なのが底引き網の船だ。底引き船の艫(最後部)にはケタがぶら下がっている。ケタは海底をひっかいていく器具である。このケタを季節や漁獲物によって替えていくのだろう。
 誰もいないと思ったら、コトンと音がして、生け簀から何かをすくおうとしている人を見つける。船の名前は延栄丸。「おはようございます」と声をかけてみる。
 その老人はにこやかに「おおっ」と言ったように思えた。
 船から下りてきて、艀を歩きながら
「どこから来たんかね」
 老人の顔は強い日差しを受けて眩しそうだ。
「東京です」
「そうか、それはそれは遠いところから」
 生け簀からすくい上げていたのは「真がに(ガザミ)」であったようだ。発泡の箱から微かに音が聞こえる。
「大漁でした」と問うと
「今日はようとれた(たくさんとれた)」

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 お願いして発泡の中を見せてもらう。そこにはやはり「真がに(ガザミ)」と「にし(アカニシ)」が入っている。
「東京から……、今日は23匹頼まれてな。まだ5つつばかり泳いどるから……」
「はい?」
 老人はまた船に飛び乗り(本当に飛び乗ったのだ)、生け簀をのぞき込む。このとき地元の妹尾さんが来てくれる。そしてこの老人が高丸さんというお名前であるのを知る。でもにこやかに話す言葉の意味がくみ取れない。
 妹尾さんを介して聞いてみると「今日はガザミが大漁であった。市場にもいっぱい卸したし、頼まれていた23匹を除いてもまだ生け簀には5匹は残る。せっかく東京から来てくれたなら残りのガザミはあげるよ」と言うことらしい。
 両岸にはうっそうと茂る黒緑の木々、その真ん中を大河のように海が濃く黒く、粘液質に緩やかにノタリノタリとうねっている。この緩やかな海のうねりが艀なので浮遊感を生む。そこに正午前なのに真夏のような眩しい光線が降り注ぐ。これがサワサワと寝不足の頭に騒がしい。目の前には優しく笑っている高丸老人の顔があって、これは本当に現(うつつ)だろうかと誰かに問い掛けてみたくなる。

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 レジ袋いっぱいのガザミをいただく。
「ありがとうございます」
 これはガザミをもらった以上に高丸さんの優しさに感謝、というもの。
「また来ますので、お元気で漁を続けてください」
「また笠岡に来てな」
 高丸さんは小型トラックで港を後にした。

 ヒモマキバイさんはなかなか戻ってこないのをいぶかしがって、走ってくる。袋に入ったガザミを見せながらケータイで時刻を確認する。11時を過ぎたばかりだ。16日の夜9時半にきんのり丸さんに会い、ヒモマキバイさんと落ち合って、中央、名神、中国自動車道、山陽自動車道と走り、岡山へ。岡山の市場を見て回り、笠岡に来た。岡山に着いてからまだ6時間しか経っていない。しかしなんと濃厚かつ盛りだくさんの4分の1日であることだろう。

 組合の建物までもどると、きんのり丸さんの顔がやや浮腫んで見える。これは持病の通風のせいもあるが、タバコの吸いすぎが原因ではないだろうか? そろそろ、危険な喫煙はやめてもらいたい。それに反してヒモマキバイさんの顔には疲労の影は見えないである。後々のことになるが、ヒモマキバイさんの底力に驚嘆することになる。

 妹尾さん、笠岡湾漁協の方達にお別れして、また山陽道に入る。そこからは一路、倉敷へ。正午過ぎには倉敷市酒津の武内立爾さんのお宅にたどり着く。

●笠岡湾漁協「瀬戸の市」は営業時間9時から午後1時まで、水曜、日曜、祝日が休み。6月16日の状況から鑑みると早めに行くことをおすすめする。
笠岡湾漁業協同組合 電話0865-67-2076


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 笠岡の湾を渡って西側の神島というのは名にあるごとく、島であったが江戸時代後期、天領となってからの干拓で半島の先端と化してしまったようだ。この干拓は1990年まで続いたもので、その遙か前から減反政策がとられていたことを鑑みると、「本当に必要な事業であったのか疑問」である。

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 さて神島大橋からくだって、道を湾の方に左折。そこにいかにもこぢんまりした静かな笠岡湾漁業協同組合、そして港がある。漁協の建物は小さく、その駐車場を挟んで「瀬戸の市」直売所がある。これも思わず可愛らしいと思えるほど小さいのがいい。ボクはこのように背伸びしない、ほどのよい大きさの港や漁協が大好きである。
 直売所の前には赤い幟があるが、人影はなく、掃除している女性がひとり。クルマをとめるや、とにかく直売所に飛び込む。そこに残っていたのがシャコ、ねぶと(テンジクダイ)、ぎき(ヒイラギ)の3パックだけ。
 妹尾さん、きんのり丸さん、ヒモマキバイさんも来て、がらんとした店内でしばし無言。

「今日はいっぱいあったんじゃけんど」
 レジにいた女性が遅れてきたボクたちを見て残念がった。(このあたりの訛りは四国出身のボクには懐かしい感じがする)
 店内に入って右手には野菜が置かれていて、春植えのキャベツにたくあん(すっぱい昔ながらのもの)、みそ(麦麹みそ)などもある。中央に魚貝類があるはずであるが、まあ根こそぎ売り切れてしまったという状況だ。
「あと3つじゃけん、買っていきませんか? お安くするよ」
 旅の途中ではそれも無理だろう? ボクは諦めて、味噌と真黄色のたくあんをレジに持ち込む。この黄色いたくあんは昔ながらの「こおこ(こんこ)」と言うヤツで、明らかに酸っぱいはず。また水分の多い麦味噌も西日本にしかないものだ。
 中に入ってグルリと見回しても、まことにこの店内は好ましいものだ。特に魚だけではなく野菜や漬物、味噌などがあるのが理想的市の形態とでもいえる。きっと魚につきものの青じそや、そろそろミョウガなどが出るだろうし、盛夏ともなれば夏野菜の漬物などが並びそうだ。これから後の話となるが17日に見て回った日生の無駄に大きい建物、また商売っけたっぷりの売り手とくらべて、この「瀬戸の市」のなんと清々しいことか。

 なすすべもなく店内を歩いていると、きんのり丸さんから「ヒモマキバイさんがシャコ買って、茹でてもらうって」と声がかかる。
 レジの方でヒモマキバイさんがお金を払っているところだ。このあたりのヒモマキバイさんの閃きは素晴らしい。ひょっとして“魚貝類を探す旅”の天才かも知れない。
 レジの女性が組合の建物に向かって「これ炊いてください」というと、中から出てきてくれたのが吉田さんという名人。ほとんど同時に組合の建物に入ってみるとシャコはもう、8分どおり炊きあがっている。その鍋には醤油の香りがして、茹でているのではなく、炊いている(関西、西日本では“炊く”と“煮る”を使い分けない)のだなとわかる。

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 これをヒモマキバイさんが建物の前に持ち込み、3人であぐらをかいて手づかみでむさぼり食らう。産卵後かもしれないがシャコには身がつまっている。

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 そこにまだ卵を抱えているのがいて、妹尾さんがそれを見て
「オレはこの時期の硬い卵が好っきゃな」
 そうか、考えてみると硬くなり過ぎているもののこの時期のシャコの卵は噛みしめると味がある。さすがにシャコひとつ食うにも産地のひとの言葉は重いのだ。ヒモマキバイさんの「シャコの剥き方がわからないんですけど」という甘えた問い掛けに、吉田がハサミも使わないでキレイに剥き上げていってくれる。手でどうやって剥いているのか、じっくり見ておけばよかったのだが、それ以上にシャコを食うのに忙しい。「ダメだよヒモマキさん、甘えちゃ」と言いながらついついボクも剥いてくれたのに手が出るのだ。

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吉田さんがなんと手で剥いてくれたもの。吉田さんにはシャコを炊いて頂いた上に、シャコの殻剥きまでやっていただいた。ありがとうございました。

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シャコの卵巣は東京では「かつぶし」なんて言う。岡山ではなんと呼ぶのだろう

 コンクリートのプランターの上に発泡トレイ、それを囲んで胡座をかく3人の男。それはなかなか奇異なものだったようだ。現在の湾漁協の組合長さんも来て笑って見ている。よく見ると、直売所の女性もシャコを炊いてくれた女性も笑っているのだ。でもこのシャコのうまさは、そんなことを気にしている余裕を与えてくれない。
「シャコはな、これからまたうもうなるけんな」
 ああ、またここに来てシャコをむさぼり食いたい。目の前のヒモマキバイさんの目がきらきら輝いている。
 手のベトベトをズボンで拭き拭きしていると、きんのり丸さんが「手を洗いたいんですけど」と宣う。こんな几帳面なところが女性の好感度大につながるのだろう。持てる男にボクもなりたい。ボクはズボンで充分だと思ったが真似をして仕方なく手を洗う。
 しかし、このシャコはうますぎる。どうしてもそのワケを知りたくて、笠岡湾漁協に電話を入れてみる。すると偶然にもシャコを炊いてくれた吉田さんが電話をとってくれたのだ。
「シャコはね。業者の方はたっぷりのお湯で茹でるでしょう。でもここらではシャコを洗って、水は一滴も入れないんです。少量の酒を入れて、それからね。風味をつけるための醤油も加えてさっと炊くんです。炊きすぎると身が抜けてしまいますね」

 きんのり丸さんが手を洗わせてもらっているのを見ていて気がついたのだが、この笠岡の女性達はみな美人揃いだ。これが20年も前だったら心ときめいただろうな。

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 組合の建物から港が続く、その先には小型底引き船が繋留してある。
「夏にはエビ漁になる」
 組合長の指し示す方向に向かって湾内の護岸についた貝を探しながら歩いていく。

●笠岡湾漁協「瀬戸の市」は営業時間9時から午後1時まで、水曜、日曜、祝日が休み。6月16日の状況から早めに行くことをおすすめする。
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