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市場で、この時期通り過ぎようとして、通り過ぎることの出来ないほど魅力のある魚、それがアカガレイだ。この場合のアカガレイに「大きめの」という但し書きをつけ加えておく。
さて先週のこと。八王子魚市場で北海道様似産のアカガレイを見つけた。それがなんとも見事なもので、量ってみると1キロ上ばかり。当然「高いだろうね」と聞いてみると、「1500円ですから普通でしょ」と言う。実際に支払を済ませて、持ったところがずしりと重い。
さて五十路になってしまって、最近では服にも、持ち物総てに感心をなくしてしまい(もともと薄い)、そう言えばクルマにも執着はなく、住処には元来興味すらない。後は●●●と、このような見事な食材がドキドキするくらい好きだなー、と改めて考える。
その見事なアカガレイを持ち帰り、撮影を済ませて、水洗いする。
頭の方から、何等分にすべきか、指二本を当てて、なんどもなんども考えて大振りに切った頭を除いて5切れとする。腹にはぎっしりと真子が詰まっている。
アカガレイを料理するときに、最大の急所はこの切り方にありと言っても過言ではない。
ボクの場合、人差し指と、中指の二本分にする。これにはワケがあり、振り塩は切り口からする、次に裏表、そして焼くときも切り口から強火で焼き、またずーっと強火で裏表も焼く。すなわち四方から焼くので、角材状になるように心がけているのだ。へたに幅広く切ると、それこそ真子を焼くのではなく、蒸す、もしくは煮るようになってしまう。
さてどうして頭の部分だけ、大きく切るのか、それはこの部分の真子は大きく広がっている上に、肝心要の肝が居座っているためだ。
頭部を切るときには、いかに真子、肝を傷つけないようにするかが、これまたアカガレイを料理するときの急所なんだなー。
切り身にした部分は塩焼き、頭部は煮つけにしないといけない。
煮つけにすると、目の回り、頬などいちばんうまい筋肉があまさず食せる。
(注/この「しょくす」という口語体の使い方が気に掛かって仕方がない。使うとどうにも奥歯に何かが挟まったような嫌な思いになるのだ。「しょくす」に一家言あるかたはお教え願いたい)
また肝を食らうと、それこそ愛のキューピッドにずどんと心臓を打ち抜かれたような衝撃を憶える。それほどにうまい。この感動は食べてしまったボクだけの秘密の小箱のようなもの。そして甘味のある真子。
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見よ! この美しい真子
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5切れの塩焼きは、翌夕食で全部食べてしまう。食卓に出すと、一瞬にして消え去るほどの美味とは、これなんだなー。まごまごしているとヒレの香ばしさだけ、もじもじと食うことになる。我が、姫はずるがしこいことに真子をいっぱい集めて、ご飯にまぶしつけて食っているが、これもいい。
晩酌を傾けながら「うますぎるものは肴とはなり難し」だと思う。(海老名の海老さん、素晴らしい炭をいただき、ありがとう、之介)
アカガレイは塩焼き、煮つけがもっともその真味を表現できる料理法であると思っている。実は刺身もなかなかうまいのだけど、関東では「ずば抜けた鮮度のもの」が見つけられない。
〆として一言つけ加える。
本来庶民的であったアカガレイが、一切れ原価で300円(飲食店では尾の部分は使えないだろうから、5切れ340円。たぶん料理すると一人前1000円を超えることになる)もするという現実である。
この値上がりは、底引きなどでとりすぎたことにもよるだろうけど、もっと根元的なこと、沿岸部、岸辺の破壊によることが大きいだろう。国内での自然破壊というのは、先ず間違いなく、必要だからするのではなく、一部の人間の利益のためだけにされているもの。アカガレイ一切れを食べても、もっともっと自然保護を訴えていかねばならぬのだ、と思う。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑、アカガレイ
http://www.zukan-bouz.com/karei/karei02/akagarei.html
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
http://www.zukan-bouz.com/