知らない街を歩く、しかも灯ともし頃である。この時間帯が街歩きには最高なのだ。寒風、灯りをともし始めた家々の情景が摩耗したオヤジの頭脳に少しだけ残っている繊細な感受性を生き返らせる。オヤジの頭脳にあるのは常に寂しさ、悲しさである。こんなことを思って今日のニュースのライブドアや伊藤公助なんてオヤジのことを考えると、この悲しさ寂しさを知らない大バカ野郎ではないかと思ったりする。だいたい正しいオヤジが求めるのは真の癒しであって欲しい。愚かな自己顕示欲や醜さが露出したものではない。おっと、言葉の寄り道をしてしまった。歩いているのは向島の生活感あふれる通りなのだ。
さて、曳舟駅からかなり歩いただろう。すっかり日が暮れて「曳舟たから通り」は闇に包み込まれている。肉屋、居酒屋、そば屋などがぽつんぽつんと灯をともして明るい。それでもこの通りは暗く寂しい。そんなとき左手に小さな公園が見えて、その奥に続く目映いばかりの明るい一筋の道。野にあって「ポランの広場」を見つけたような気分である。この明るさは永井荷風の墨東ではない。道は狭くて自転車と人が出たり入ったり、人のぬくもりが感じられて賑やかだ。これが「キラキラ橘商店街」であるらしい。
古めかしい瀬戸物屋がある。向かいは八百屋、そして薬屋と続いて豆腐屋となる。豆腐屋の先に「かまぼこ 大国屋」という練り物を売る店があり、店頭でおでんを売っている。下町で練り物の店、店頭でおでんというのは決まりものであるらしい。お総菜を売る店が多く、見ていると空腹であることを思い出す。
自転車、行き交う人が多く、立ち止まることが出来ない。そんなとき人だかりのする店をみつける。これが魚屋である。庇の上の「青木鮮魚店」の文字が薄汚れていい味を出している。
青木鮮魚店の活気はすごい。若者よがんばって欲しい
ここで魚を売るのは二十歳代ではないかと思われる若者だ。この若者がおばさん、おじさんと絶妙なやりとりを繰り広げている。その先にも魚屋、魚屋。ほんの50メートル足らずの間に魚屋が3軒もある。曳舟駅から何軒の魚屋を見てきたことか? 多摩地区では個人営業の魚屋をほとんど見かけなくなっている。さすが下町ではまだまだ魚屋が健在である。
キラキラ橘商店街には魚屋が多い
通りのなかほどだろか? 雑誌などでたびたび紹介されているコッペパンの「ハト屋」を見つける。黄色い上下を来たおじいさんと、真っ赤なジャージーのおばあさん。おばあさんはしきりに焼き鳥を子犬に食べさせようとしている。コッペパン120円を5つ買うと、「2つと、3つを別々に袋に入れておきますからね。そして(パンの入った紙袋を薄いビニール袋に入れてビニール袋を結びながら)パンが残ったらまた、ビニールに入れて必ず袋を結んで置いてね」という。この日常的な会話がいい。
この不思議な絵がいいんだろうな。これがビルになったらどうしようもない
昼食抜きで歩いているのと厳しい冷え込みで頭がクラクラしてきた。ここでラーメン屋でもあるといいのだが、と通りの端まで行ってもめぼしい店はない。ここに天ぷらとうなぎの店があるが敷居は高そうだ。うなぎ屋に隣接して佃煮屋があった。ここの佃煮もこんど買ってみよう。商店街の端にある店、そこにいた女性にこのあたりの事を聞いてみる。通りを抜けた広い道路が明治通であること、また商店街のことなど熱心に教えてくれる。「ありがとうございました」、と感謝するとともに下町の女性は魅力的だなと頭がポヤ〜ンとする。突然、こんなところに住みたいなと痛切に思う。
仕方なく通りをもどって、持ち帰りの天ぷらの台を置いたそば屋「五福家」に入る。ここでたのんだカツ丼にがっかりして、また通りを歩く。
「五福家」にいて感じたことは「キラキラ橘商店街」は明らかにお総菜を売る店が主流なのだ。この、そば屋自体が店の前で天ぷらを売っていて、店内で食べる客は他にはたった一人。
路地の奥にある肉屋さんでは牛煮込み、シュウマイやキムチを売る店。しかし歩き疲れたなと見ると店頭でモツ焼きを売っている店、その奥でいっぱいやっている。入りたいなと思うが、ぎりぎりのところで我慢した。また来るつもりだ。いっぱいやるのは先送りである。
かなり歩いた。疲れて、とぼとぼと「曳舟たから通り」を東武曳舟駅にもどる。途中、「浪花屋」で鯛焼きを5つ買う。旅はここで終了。
東武曳舟駅4番ホーム、入ってくる電車は半蔵門線直通である。
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